Mosquitoes regret

喪失と自責の記

君をのせて


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アルバムから零れた写真が何枚か出て来た。

その中に、一時親子3人を乗せて走ってくれたサイドカーの写真があった。

 

子どもが幼稚園の頃、夫が買いたい物があると言う。

我が家は家計は夫が管理していたが、勝手に買ってくる様な事はしない人だった。

中古のサイドカー

いつもお世話になっているバイク屋さんで見て、状態も良さそうだし、これなら子どもが小さいうちなら、なんとか3人で乗れそうだと…

中古でもそれなりに金額はしたが、夫一人で楽しむ為ではないし、稼いで管理してくれてるのは夫だし、信頼出来るバイク屋さん経由なら不安もない、反対する気にはならなかった。

 

バイクは通勤で使っていた夫も、幅のあるコレの取り回しに少し戸惑っていたが、元々安全運転、これなら転倒もしないし車と同じ様に走れる、派手な色は元からだけど、周りから認識された方が安全だろうと、そのまま使った。

 

子どもも乗せて、更に安全運転で走っていると目立つらしくて、よく振り返られたり注目されたりした。

目立ちたがり屋ではなかったが、恥ずかしさと喜びが同じ位だったのではないかな…と。

自家用車を持たない我が家では、お出掛けは主に公共交通を使っていたが、このサイドカーがあった数年は、家族でドライブに行った。

 

煌めく様な思い出だけれど、実は私には胸の塞ぐ思い出もある。

夫はこれを買う時に「子が習い事とかに行くようになったら、貴方がこれを使って送迎も出来る」と目論んでいた。

原付免許では乗れないサイズなので、バイクの免許を取れと言われた。

私にはバイクを運転したい気持ちは無かったが、言われるまま教習所に通った。

原付バイクには乗っていたので、それ程恐怖はなかったのだが、根っからの運動オンチ、一本橋がどうしてもクリア出来ない…

その上、子どもはすぐ体調を崩し幼稚園を休む、度重なるキャンセルの電話の向こうで、受付嬢のため息が聞こえる…

そのストレスに負けて、投げ出してしまったのだ。

今でも苦い思い出だ。

それで、サイドカーは送迎に使われる事なく、やがて3人では乗れなくなり、使われない日々を重ねて廃車になって今はもうない。

 

あの時、頑張れない私を夫は責めなかった。

先払いした学費も精算して戻してくれたのは夫だった。

申し訳なかったな…振り返ると今も思う、けど無理だった…

 

 

そんな思い出が写真で蘇ったからか、バイクの夢を見た。

私がバイクに乗り、何故かハンドルの所にカゴがあり子が収まっている、ママチャリの様に。

子はまだ幼く、疲れてウトウト…グラグラ揺れる、それを気にしてオデコの前にバッグを置こうとしたり、オロオロしている。

夫は何故か原付バイクか電動自転車に乗って前を走ってる、と急に夫は転倒、どうしよう怪我したよね、オロオロが加速、そこへ外国人の女性が2人、傘をさして近付いてくる。いつの間にか雨も降ってる。

英語で何か話し掛けて来る、そうだ息子なら多少わかる!(幼児では無理だけど、育ちあがった息子は蕎麦屋で居合わせた外国人女性の言葉を夫に促されて店員さんに通訳した事も)

幼児なのに意訳してくれた「私達に何か手伝えますか?私達のキャンプに来ませんか?」

そういえば、先程数十人の外国人のグループがテントを張って集まっていて、走る私達に手を振ってくれていた…あそこの人達が困ってる風な私達を見て、声を掛けてくれたのだ、ありがたい…

そうだね、この雨の中無理して帰宅するより、キャンプまで戻って一晩お世話になって、雨がやんだら朝出ればいいかな?夫も転倒でダメージ受けてるはず…

でも、早く家に帰りたいかな…?

そんな事を悩んでいる所で目が覚めた。

 

転倒して怪我した夫は、現実には不治の病になり、私は家庭と言う身に余るバイクのハンドルを握るはめになった…

心配し続けていた子どもは、いつの間にか頼もしく育ち、今は土砂降りでも、身を寄せる場所や気にかけてくれる人達が居る…

雨がやむまで、休んでもいいよね…?

見えなくても、夫は併走してくれているのだ。

いつかそのリアシートにまた乗せてね。

剣呑 剣呑

夜寝る前には夫に「助けてね、守ってね」ではなく「教えてね、導いてね」と祈るようにした。

私は幸運な事に、助けて貰う事も守ってもらう必要もない現状だ。

今月の家賃が払えないとか借金取りに怯えなくて済んでいる、今の所、家族に重大な病気も見つかってない(私の鬱以外は)。

 

私がわかっていない事を教えて欲しい。

正しい道に進めるように導いて欲しい。


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ある夜眠りにつく前に「私は、私を許せない私のままでいいのでは?そのままの私を受け容れるとは、そういう、歪な自分のまま、OKと言う事なのかな?」

許さなくては…自傷する自分をなだめて抱きしめてやめさせなければ…自分を傷付けたい私を矯正しなくては…

そう思って来たけれど、そう言う危うい自分をそのまままるごと、受け止めればいいのかも…

剣呑

刃をそのまま丸呑みに…


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その次の日の夜には、ふと、「私に、夫の運命をどうにか出来る力なんて、ある訳ない」

と思えた。

降って来た…と言うか、憑き物が落ちたように、「どうして私なんかが夫の運命をどうにかしてしまえると思ったんだろう…」と…

私という劣悪な魂が呪いとなって、夫のエネルギーを削ぎ落とし、命を蝕んでしまった…と。

私がそんなパワーを持ってるなんて、如何にマイナス方向であったとしても、幼児の持つ万能感に近いのかも知れない…

「自分のせい、と思ってしまうのが病気のせいなの」

Dr.の言葉を振り返る。

この医者は何も分かってない…そう思ったあの日から、来月1年になる。

あの日の私は、きっと今の私を堕落したと…真実を見つめ続ける苦しさから逃げたと感じるだろうな…

そうやって自身を罰し続ける『私』の事も、私は受け容れよう。

間違いだと否定して、消してしまおうと力まないで、そのまま呑み込む。

剣呑で行こう。

 

童神

先日TVで石垣島を旅する番組を息子と並んで観た。

石垣島には、夫と二人で、その後息子と3人で旅行した。

3人で行ったのはもう16年前…

子の年齢的に、無邪気にはしゃぐ姿をビデオに写せるラストチャンスだと思って、私は結構頑張って撮影した。

いずれ育って大人になり、遠く旅立つだろう…と、年老いた夫と二人「楽しかったね、息子可愛かったね」と、涙ながらに眺めるのだと思っていた。

その相方がいないとは…

その夫の姿の残る映像を、当の息子と見る事になるとは…

あの頃想像も出来なかった。


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TVが良いきっかけだと思って、翌日、石垣島旅行の録画映像を観た。

私の中の夫のイメージと寸分違わぬ夫の姿に、少し泣いたが、あまりに見慣れた、あまりに当たり前な夫の姿に、やはりここに居るとしか思えない。

マイペースな夫は録画映像の中でも時々離れてしまう、それは私がモスキートで息子ばかり撮っていたからでもあるが…

今も私の視界から少し外れているだけで、きっとここに居る…そうとしか思えない。

 

まだまだ幼い息子と子育てに戸惑う未熟な自分の声は、懐かしいだけではない痛みも思い出させた。

 

バスでの移動中、疲れて眠る息子の寝顔を撮っている。

バスの車内には『童神』が流れていて、その歌をBGMに、眠る我が子を、祈る気持ちで撮影した。

♪泣くなヨ〜ヤ〜 ヘイヨ〜 ヘイヨ〜

てぃだぬ光受けて〜…

この歌を涙と共に何度聴いた事だろう。

 

今見ても、幼い我が子は心に痛い…

神様だから、見れば目が眩み、触れば焼け爛れる…そんな当時の感覚が蘇った。

私が録画していたので、自分は写っていない。

この録画映像に写る夫も、あの頃の息子も、私は両方喪ったのだ…と言う、深い悲しみが改めて湧いてきて、隣にいる、大人になって私を支えてくれる息子に、どう恩返ししたら良いのか、戸惑うばかりだ。

 

思えば、この石垣島への旅行の翌年、私は胆嚢炎で入院し、ひと月以上の入院手術となり、多分その「母の不在」で息子は一息で大人になってしまった気がする。

私も、「在りたい母」の理想から逸れて、身体が思う様に動かない事で、諦める事を学んだと思う。

そんな意味でも、あの石垣島の旅が、息子が子どもらしく居られた想い出となったのだと思うと、まばゆくて涙が出るのだ。

 

絶対零度

昨夜、またあの日の事を考えていた。


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あの日、もっと素早く吸引していれば…

蘇生処置が出来ていれば…

あの時、逝かなかったのだろうか…

遠くない先でその時は必ず来るとしても、あの時、回避出来たのだろうか…

もし、やれる事を全部やったとして、それでも引き留められなかったのなら、私はこんなに自分を責めなかっただろうか?

やれるだけやった…と、割り切れたのだろうか?

そうは思えないし、その為に、自分の後悔を減らす為になら、そうしなくて良かった…

 

私が、私の不手際が彼を逝かせた。


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絶対零度とは零下273.15℃だそうだ。

 

その凍てつく事実は私の心身を爛れ溶かすとしても、この身をもって抱きしめたい。

それは唯一の、かけがえのない形見だ。

この、凍てつく想いを愛しく抱きしめながら、私はこの記憶ごと先へ進む。

自責を超えて、このままの私で幸せになる。

その存在を見ないまま、嘘つきのままでは進めない。

 

夫には夫の想いがあったはず。

あの時で、良かったのか?

もっと頑張りたかったか?

いや、本当は元気に戻りたかっただろう…

繰り返し苦しめたくなかった、と言えば綺麗事になる。単に見ていたくなかったのでは?

全部まとめて絶対零度に凍らせる。

永遠に持って行く。

無かったことにはしない。

大切な、私と彼の想い出、誰にも取り上げられない。

彼が以前と違う世界にいる様に、私も元の世界には戻れない。

大切な絶対零度と共に、新しい世界で生きて行く。


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新年もなかば

小正月も過ぎてしまった。

クリスマスから年末年始は、去年程ではないにしろ辛い時期だ。

今年は世間的には喪中ではないが、とてもおめでとうと年賀状を書く気にはなれず…

来た年賀状にも、寒中見舞いとして返事を書いた。

来年もその先も多分こちらからは出さないし、おめでたい気持ちになれないのに年賀状は書けないだろう。

それで消えていくのもそう言う縁、自然に任せようと思う。

それでも、フランクな付き合いの相手には、SUZURIのQRコードを付けて「買わなくていいから見てくれたら嬉しい」と添えた。

昨日、絵を描いている友人から、「見たよ」と葉書が来た。

「ご主人も絵を描くと知れて嬉しい」と言ってくれた。

夫は絵には苦手意識があったけれど、私から見ても素敵だと思えるので、見てもらえて嬉しかった。


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今、もう少し込み入った合作を試みていて、なかなか納得いく形にならない。

今の自分の気持ちも乗せて、形にしたい、その背中を押してもらえた気がする。

 

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スクワランオイル

夫に似て肌が弱い息子の髭剃り後に夫が使っていたスクワランオイルがいいんじゃないかと、まだあっただろうと探したのに見つけられなかった。


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納骨を踏ん切りに、洗面台周りを少し片付けた時に、使いかけは捨てたかも知れない。

それとも…

生前からもう切らしていたのだろうか…

いつもの生協では扱ってなくて、少し不便な場所にある店舗までバイクで買いに行っていた夫。

最後の時には私も後ろに乗って行った。

あれはいつだったろう…

帰り道に寄ったファミレスは更地になっていたのを、先月の月命日に弟夫婦と墓参りの帰りに通り掛かって見た。

涙が出た。


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夫の人生の最終章、ピリオドから1年以上が過ぎてしまった。

思い出せない事、記憶が欠落している自分に慄く…

最後の入浴は、遂に私が付き添った。

湯船から自力で立ち上がれなかった。

二人で笑いながら体を拭いた、あの時スクワランオイルは…塗らなかったな…

その前までは付き添いを固辞して一人で済ませていた、オイルまでは自分で塗って、その後薬を私が塗っていた。

さいごの日々に、何故もっと暖かく接し、安心を手渡せなかったのか…もっと触れて、抱きしめて、キスして、愛していると伝えれば良かった…

久々に後悔と自責の涙に濡れて眠った。

あまりの辛さに、Twitterの闘病アカウントを遡った。

抜け落ちた記憶を補完して、ソコまで非道い妻ではなかった…と、自分を慰め、安心する為の作業だ。

日記も手繰った、バイクの後ろに乗った日はわからなかった、それはごく普通の日常だった。

皆、自己弁護する為のアリバイ探し…


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それでも…

その度に、闘病の中で必死に、その中でそれなりの幸せを噛み締めていた、当時の自分と付き合ってくれた夫がいた事を思い出させてくれる。

もう、自己弁護しなくていい私になりたい…

私の事を一番許せないのは私。

「充分やった」から許されるんじゃなくて、「てんでダメ」でも許す。諦める。

だって夫は必要だったら私を罰するだろう…

いや…罰さないかな…ダメな、そのままの私でいいから、と言ってくれる…そう思えるから、そろそろ『自分』への拘泥を手放したい。

その為に、何をしたらいいだろう…

借りて来たフランクルの本は頑張って読みたい。


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信じる力

茶の間の押入れの下半分を、私の趣味の道具や材料等等が占めている。

もう気が乗らなくなった物や、いつか使うかも…と、かけた元手を考えてケチ臭く捨てられない物も多くて、整理しなければとは思うが、触れば時間を喰い潰すのが目に見えてるから触れないでいる。


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2年前の今頃、当時はまだ若年性認知症の診断だった夫との、これからの長い闘病を想って途方に暮れていた。

最初に繋がった若年性認知症サポーターからの助言で、保健所に相談すると面談になった。

その時初めて目の前の人に色々受け留めてもらった。

保健師が2人付いてくれて、ベテラン風の人は「大丈夫」と言うメッセージを体全体から出してくれていた、年若い人は、私の不安に寄り添ってくれた。

ありがたかった。

「奥さん、自分の趣味の物を処分しないで下さいね、結構全部捨ててしまう人もいるんですけど、自分を支える楽しみも大事ですから」

そう言われた事を、昨日不意に思い出した。

コロナ禍の初め頃で、結局当事者会家族会はどんどん中止になり、一度も行けなかった。

その後ALSの診断が付き、認知症はその合併症だと言われた。

長いと思っていた闘病は、あっという間に終わってしまった。

長い時間をかけて少しづつ、零れ落ちるものを二人で押さえながら、拾いながら歩くのと、短く切り上げて去っていくのと、どちらがどうとは言えない。

ただ、どちらでも、夫と言う人の本質は変質しなかったのだろうと思える。

出来ない事が増えて、面倒になり、人が変わったかの様に見える事もあるし、脳の変質が進めば別人の様に荒々しくなった可能もあるけれど、夫はその手前で翔び立った。


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まだ歩けた頃に選挙があって、それまでした事がなかった投票の棄権をした夫を、それだけシンドイのか…と、でも半ば、子どもの前で棄権するなんて、父親として頑張りを見せて欲しいといら立ちも持った。責める口調で再三誘い掛けたと思う。

彼のポリシーからしても、棄権は馴染まない選択だった。ずっと引っ掛かっていた。

病が、彼を変えてしまった…悔しいけれどそうなのか…

それが昨日、電撃の様にわかったのだが、彼は投票所に行きたくなかったのだ。

近くにある投票所には、ご近所さんが皆来る。

そこで自分の姿を見られたり、声を掛けられるのが嫌だったのだ。

その日、私は息子と二人で投票に行った。

その時は自分がいっぱいいっぱいで分からなかったのだと思う、よく覚えてさえいない。

夫亡き後の選挙で再び息子と二人で投票所に並んで、皆マスクをして距離を取って居るからハッキリとはしないが、顔見知りが何人も居るのがわかって居心地の悪さを味わった。

誰からも声を掛けられなかったのはコロナ禍のお陰かもしれない、ありがたかった。

平日に散歩に行きたがらなかったのも、同じ理由だろうと思う。

つい、真面目な、一生懸命な患者家族であらねば…辛い事があっても前向きに頑張る姿を世間の人に見せる事が正しいと、そうあらねばと…思っていた。子どもの為にも…と。

でも、そんな事はどうでもいい事だった。

命の先がないのが分かっていて、尚、優等生を目指さなくてもいい…

私は分かっていなかった…

そんな事に見栄をはる必要はなく、どんな状況に陥っても取り乱さず、嘆かず、絶望しなかった、彼は彼のままだった。

認知症がどの位、彼の判断を蝕んでいたのだろうかと、最期の選択が本当に本当の彼の真意だったのか、認知症によって理解出来ていなかったのではないのか…その疑問がずっと胸にあって消えない。

それでも、彼は最期まで彼だったのだと思える一つのエピソードを思い出せて良かった…

その事に、死後1年以上思い至らない鈍感な妻でごめんなさい。

でも、想い続ける事で、悩み苦しみ続ける事で、辿り着ける灯火もあるのだと、知る事が出来た。

悩み続けよう、想い続けよう。


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貴方の遺した線画が、私の趣味と混ざって今の私を支えてくれている。

まだまだ貴方の事が知りたい、解るようになりたい。