Mosquitoes regret

喪失と自責の記

レスポンス〜呼び水〜

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友人からLINEが来た。
郵便局から送った香典返しが届いたらしい。
もう着いたのか…と言う事は他の納骨お知らせ葉書も概ね届いたと言う事かな…
ちょっと緊張する…
彼の事を思い出して欲しい、彼に想いを馳せて欲しい…その反面レスポンスに慄く…
もう一周忌も過ぎてる、そんなに反応はないだろうと思ってるけど…

1番乗りの友人は高校時代の友達、夫の事は知らせてなかったし、知らせるつもりもなかった。
極々内輪で葬儀を済ませ、夫の友人達には四十九日の法要に参列してもらう手筈になったが、その内の数人が高校時代からの仲間だったから、そこから彼女に伝わったのだと思う、私と夫は高校の同級生だった。


まだ夫の病が明らかになる前、彼女を含む高校時代の友人仲間の内の一人が、県外に引越す事が決まり、送別会と言う名目で久しぶりに集まって会食した。
予定が決まった後、私は庭先で転んで足の甲を剥離骨折、ギプス固定に…
そして数日後、癌で闘病していた大切な友の死を、その夫君から知らされた、旅立ちは私が転んだ日だった。

買い物が終わったスーパーを出ようとしていた時だった。
メールを開いて、膝から崩れそうになりながら、必死で涙を堪えた…
帰宅して、号泣した。
「死んじゃったって…!」そう言って、夫の前で声を上げて泣いた。

夫は自身の体調不良もあって、次の日休みを取って、私を通院中の整形外科にバイクで連れて行ってくれた後、レンタカーを借りて迎えに来た。
「どうしたの?」
「ドライブに行こう」
多分、気落ちしてる私の為に連れ出してくれたのだ。
私は終始俯いて、そんな夫の優しさに報いる事もしなかった、感謝も…
夫は体調が更に悪くなって、途中で車を停めて休んだり、海鮮の店でのお昼もあまり食べられなかった。
そんな夫に、苛立ちさえした。
足も骨折してあまり歩けないし、こんな楽しくもないドライブ、レンタカー代が勿体ない…そう思った。
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亡き友の死は、そこまでの私の人生では間違いなく最凶の出来事で、味わった事のない悲しみだった。

それが2019年の5月の事、心がガタガタで足の骨折も完治してなかったけれど、高校の仲間との会食には足を引きずりながら出席した。
引越す友達と次いつ会えるかわからない。
他のメンツとも会うのは久しぶりだ。
足のギプスのお陰で、心のボロボロさは隠す事が出来た。
久しぶりに会っても自然と会話を楽しめた、今度は引っ越した先に皆で行こうか、等と笑って別れた。

亡き友の事は話さず。

それから6月7月まで、私は亡き友の面影を追って、彼女との思い出の地を彷徨って写真を撮り、フォトブックにして夫君に送った、仏前に供えて貰えたら…と願った。
彼女の四十九日、納骨式にお誘い頂いたが、参列を見送った、墓参にもまだ行けていない。
今、思い返すと参列すれば良かったかも…彼女は望んでいたのではないか…?と後悔もある。
この亡き友の事は、ここでは書き切れない、また別の機会に改めたい。


昨日、1番でLINEをくれた高校の友人のお陰で、あの日々を振り返れた。
あの会食の時のメンツが連名で御霊前を送ってくれたのだ。
四十九日の前だった。
御返しは要らないと言ってくれたが、また会った時にでも渡せる様にと、ハンカチみたいな軽い物を人数分用意してあった。
もう、1年以上経ってしまった。
このコロナ禍の御時世で、いつ会えるかも分からない。
納骨の報告に乗じて郵送したのだ。

会食した時点ではまだ夫の病は知らず、亡き友を喪った悲しみを夫に「死にたい」と吐き出していた、心底辛かった。

その数ヶ月後、9月には夫に診断が付き、底だと思った床が抜け、更に過酷な日々が始まったのだ。

1番乗りのLINEが、呼び水となってくれて、私の告悔も始められそうだ。
まだあるかも知れない納骨のお知らせへのレスポンスに気を揉みながら、少しづつ心の深みへ向かい合いたい。