Mosquitoes regret

喪失と自責の記

父の事

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今日、日付が変われば昨日、父の4回目の命日だった。
なので、父の事を話そう。

父は東北の田舎の貧しい鍛冶屋の末っ子だった。
長兄が跡を継ぎ、他の子どもは家を出て自分の食い扶持を得るのが習わしだった。
母親は父が少年の頃、病で死んだらしい。ずっと具合が悪い母親の、薬瓶を医者からの帰り道で転び、割ってしまったと言う辛い思い出を語った日もあった。
その母親は後妻で、その前の妻との異母兄も同居していて、前妻も病死だと言う。
末っ子で、短い間しか母親と居られなかった父は、父親に「身体が丈夫でない母親に、なぜそんなに子を産ませた!」となじったそうだ。
それは、最後に産まれた己を突き刺すブーメランで、きっと呪いだ。
父はバリバリのACだったと思う。
いい年になっても結婚しない末っ子は、長兄の持って来た見合いで結婚した。
自分の様な者でも結婚できるのか、と幸せだったと…

色々あった、勤め先で怪我をして障害者になり、その後は別の職場で非正規ながら定年まで勤め上げ、子どももそれぞれ家庭を持ち、所謂隠居生活…

寂しがり屋で人恋しい父は、やがて認知症となった。
年相応のボケ方かと思っていたが、激昂して暴力を振るうようになり、やがて病院に入院となった。

鍵の掛かるフロアに、父を見舞った。
薬で動きもぎこちなく、涙と鼻水を流しながら「こんな姿を見られるのは辛い、もう帰れ、明日も仕事だろう」と言う様な事を言う。
私も泣きながら「お父さんの事を誇りに思う、お父さんの子で良かった」と伝えた。

夫はそんな私に付き添って、父の手を支え、鼻水を拭ってくれ、写真を撮っていた。
帰り道、「何も出来なくて辛い」と泣く私に「あなたはよくやってると思う」と言ってくれた。

父はグループホームに入り、肺炎で入院、そこで息を引き取った。

それがたった4年前…

あの時、父の様子を見ていた夫は、実は最初に若年性認知症との診断を受けていた。
私も同席を求められ、夫と一緒に聞いた。

そんなバカな…
この聡明で冷静な夫が?

夫はどう受け止めたのか…

父を看取ってまだ2年…

「まさかオレが認知症になるなんてなぁ…」そう何度か、静かに呟いた。

胸が張り裂けそうだった。

進行をなるべく遅くする…
まだ55才だった、長い戦いになるのだと…先の見えない恐怖だったが、共に戦うのだと、父に出来なかった事を夫に…いや、私に出来るのか?
気持ちはグラグラ揺れていた。


後日、認知症はALSの2割程度に現れる合併症だと診断された。
戦いは別の色になり、短く終わってしまった。