モスキートの言い訳
結婚して幸せな家庭を作る。
ありきたりな、でも、決して努力だけでは叶わない夢だ…
その能力も運の良さも持っていないと知っていた、だから公言出来なかった。
前述の通り、私の弟は幼くして入院、手術を経験している。
当時は助からないと診る医師もいた。
当然、両親の関心は可哀想な弟へ全振りとなった。
私から見ても、小さな身体に包帯を巻かれ、大きなベッドにちょこんと座る弟の姿は、痛々しく、弟の為に我慢をすべきだとはわかっていた。
でも…寂しかった。
生きているだけで愛される弟。
良い姉でなければ居場所さえない私。
弟は運良く完治し、退院したが、その後生まれた下の弟は、出産の翌日、亡くなった。
病院の地下の暗い霊安室で、小さな棺に入った弟と対面したのを覚えている。
この二人の弟の事が、後の私の子育てに大きく影を落とした。
それはまた、別の機会に書く。
退院した弟と、以前の様にはしゃぎ遊び、ケンカや小競り合いもした、そんないつかに母が「弟に譲りなさい!」と鬼のような形相で怒鳴った。
だいぶ後になって知ったのだが、母は弟が10年生きれば大丈夫と医者に言われていたらしい。
10年生きないかも知れない我が子…
そんな子にイジワルをする姉。憎かったのだろう…子を持てば理解できる。
でも当時は、理不尽さが理解できず、自分は価値のない子なのだと言われたような、心が凍える出来事だった。
ずっと自己肯定感が持てなかった。
自分は本当は悪い子で、居てはいけない子なのに、どうにか神様の目を盗んで生きてる。
バレてはいけない、ダメな自分を隠して誤魔化さなくては…
その習い性は今も私の中に巣食っている。
ごめんなさいと泣きながら生きている。
家計は裕福ではなく、やがて母はフルタイムで働き初め、御飯を炊くのは私の役目となり、中学時代の部活動は許されなかった。
冬は真っ暗な家に帰り、ストーブに火を付けて、暖まるのを待った。
たまに家の鍵を忘れて家に入れず、自分の家の前で無為に時間を潰す…
悲しかった。
自分が親になったら、子どもが帰って来た時に「おかえり」と迎えたい。
朝、「行ってらっしゃい、気を付けてね」と送り出したい。
それが、夢となった。
本当は、そうされたかったのだが、得られなかった夢…
それが私が結婚を望むに至った生い立ち。