プレ・モスキート時代
結婚は家庭を作る為のもので、家庭には子どもが居るものだ、と信じて疑わなかった。
子どもを持たないなら結婚する意味はないような気がしていた。
敢えて子どもを持たない夫婦がいる事も、自分達に子どもが授かるかどうかわからない事も、理解はしていたが…
何しろリベンジだから。
子どもが居てくれないと、やり直しが出来ない。
夫は理性的に考えて、私も暫く働き、二人である程度お金を貯めようと主張した。
私は結婚前に再就職していた、取り敢えずその仕事は続けていたが、二人の休日は噛み合わず、定時で帰れない夫は販売の私より早く帰る日はほとんど無く、疲れて帰っても夕飯を準備するのは連日私と言う日が続く…
外食も増え、我慢できず私は仕事を辞めた。
辞めてしまうと後ろめたく、また30も過ぎているので、焦りも募る。
夫から特に子どもが欲しいと言われた事がなかった。
実は別に欲しくなかったのではないか…
今もわからない…
だから、妊娠したした時、喜んでもらえるか不安だった。
「出来たって事は、出来てもいいと思ったと言う事だ」みたいな事を言われた。
ドラマみたいにわかりやすく喜んだりはしない、でも、生んでいいんだとわかって、私は嬉しかった。
妊娠中も夫は冷静で、職場のおばさん達から情報を得ていて「妊娠中も動いた方がいいらしいよ」とか言って、これもドラマの様に心配したり特別扱いしたりしてくれなかった。
定期健診に付き合ってくれたのも数回、仕事で疲れているのはわかっていたから無理強いもしなかったし、車もなかったから、雨でも一人で電車で行った。
地元の産婦人科で、妊娠と一緒に子宮筋腫も発覚したが、筋腫自体は珍しくはないからと様子見になった。
妊娠中は筋腫も大きくなりやすく、位置も変化する、出産時の筋腫の位置によっては手術が必要になるが、下から産めるだろうと言われた。
だが、妊娠中期に入って、もし何かあったり帝王切開する事になった時、近くに頼れる人の居ないここで過ごす事を夫は心配し、実家に頼る事を勧められた。
実家の両親は初孫を楽しみにしていたし、私もまだそんなに親と不仲でなかったし、実家に滞在して出産する為に、実家近くの産婦人科に掛かり直した。
結局、その産婦人科の判断で、大学病院での帝王切開を申し渡された。
大学病院は、昔、下の弟が生まれた翌日死んだ所だった。
そこだけはいやだった。
産婦人科医にも話した。
「そうか…それはイヤかもね…それじゃがんばろうね」
そこの医師は妊娠中の体重増加に厳しかった。それがとてもストレスだった。
頑張って体重を減らして行っても、浮腫が出て、臨月なのに結局あの大学病院への紹介状を渡された。
とてもショックで、不安だった。
産婦人科は低い帝王切開率で人気だったが、こうやってリスクのある妊婦は大学病院に投げているから率が低いのだ、きっと他の産婦人科もそうなのだろう。
帝王切開と切り捨てられた自分が、落第の様で、お腹の子どもに申し訳なかった。
出産、育児の本も読んでいて、自然派に傾倒していたのもショックに拍車をかけた。
自分はダメな母親だ…と落ち込んだ。
それも、弟を救えなかった病院で…