モスキート、母となる
忌まわしい因縁のある病院で、初めての子を産む事は、出来れば避けたかった。
けれど、季節は12月、年末年始を控えて、紹介状のない病院をあたるのも冒険だ…
まごまごしてる内に何か急変があったら…そう思うと、あの、弟の亡き骸と対面した病院を選ばざるを得ない…
いろんな事が行く手を阻む、邪魔をする、そんな状況で、逆に覚悟が出来た気がする。
大丈夫!
私がちゃんと産んであげる!
そう、お腹の子に誓った。
初めて大学病院で紹介状を渡した時、高齢の温和な医師が「おめでとうございます」とまず言ってくれた。
そこまでの誰より人間的に接してくれ、固まってガチガチだった警戒心が氷解した。
親身に話を聞いてくれ、不安を受け止めてくれた。
冷たくなった弟と対面した病棟は建て替えられて、もう面影はなかった。
ここで産もう。気持ちは決まった。
正月、松が明けてからの予定帝王切開となった。
事前説明で、下半身麻酔で、手術中に何かあったら全身麻酔に切替える、その場合人工呼吸器を挿管すると前歯が折れる事があるから、それを承諾してくれと言われた。
何もなければ、術後少し寝て貰ってから部屋に戻る手筈だった。
だが、結局出血が多く、いろいろバタバタして眠る時間はなかった。
バタバタした中で、子どもは生まれ、産声を聞き、拭われた子どもを見せられた時…
「なんて可愛いんだろう…ありがとう!」と、世界中に感謝したい気持ちが溢れた。
とてつもない幸福感で、麻酔が切れて痛みが来ても、その後の子宮収縮の痛みさえ、ありがたいと思った。
血管の中をピンクの小花が流れているような…
多分、生命の危機に脳内物質が放出されたのだろう…
主治医は「輸血せずに済ませました!」と胸を張ったが、1800ccの出血で貧血はひどく、おっぱいケアも術後で大変だった。
夫が子どもを見せられて第一声が「案外猿じゃないな!」
生まれたての赤ん坊は猿の様だと誰かから聞いていたのだろう、それは参道を通って来た子で、帝王切開の子はその試練を免れるから、顔は整って生まれるのだそう。
その試練を受けない事で、弱いとか、辛抱強くない、なんて風評もあるのだが、そんなデマも「ちゃんと自然に産めなかった」と言う自責を強くした。
本ばかり読んで、母子同室の方がいいのに、そこの病院は別室だったし、帝王切開はそうなる傾向らしいが私も母乳の出が悪かったり、予定帝王切開で予定日より早目に生まれ、やや小さく、吸う力も弱くて上手く飲めない等等…子どもに対して「ゴメンね」と言う気持ちが募っていった。
ともあれ、無事に母子で退院し、暫く実家のお世話になった。
夫はその間家で一人で仕事に。
真冬だったので、春まで実家の世話になる事になった。