野生の母
赤ん坊を連れて夫の待つ自宅へ戻り、新生活の始まり。
春と言ってもまだ寒さも残る、古い木造の貸家に、義父と義兄がエアコンを取り付けてくれた。
なのでうちのエアコンは子どもと同い年だ。
それと、子どもと私が過ごす部屋と廊下を隔てるドアがないので、カーテン間仕切を付けて置いて欲しいと、夫に頼んで置いたのだが…それが帰って来ても付いていなかった。
子どもが寒くても気にならないの?!
いくら忙しくて休日は休みたいとしても、赤ん坊を思う気持ちがないのか…と私は悲しかった。
帝王切開での出産になった事。
退院時のオムツの事。
完全母乳に出来ていない事。
既にかなりなマイナス状態で始まった子育て、私にとっては最大ミッションなのだ。
何より大切で優先したいのが子どもの幸せ。
それは私にとっては当たり前の必然で、夫も当然そう考えてくれると思っていた…
今は当時を静かに振り返れる。
私の『子ども最優先』脳は、異常なレベルだった。
当時は、そうでない状態、夫との夫婦としての関係も大切、自分の気持ちも把握してコントロール出来なければならない、等の考えに全く思い至らなかった。
そんな視点があるなんて、思いもしなかった。
子どもを真っ当に育てる、それ以上の使命があるのか、あるわけない。
盲目的に、狂信的にそう思っていた。
子ども教だ。
あらゆる事に子の健全な成長は優先されるべき。
子の健やかな育ちの為に、良き母、良き父、良き夫婦でなければ…
出来る限りの丁寧さで、出来る限りの良い物を、良い物だけを与えたい…
この子を護りたい…
それはDNAからの指令だったのだと思う。
抗いようも無く、私は野生の母となった。