遺恨・告知
後悔なら枚挙に暇がない。
どれもこれも適切だった、良い手だったとは思えない。
その中でも大きな棘となり、日を追うごとに疼くのは、告知とそれに纏わる私の対応…
初見で疑われたALSの正式な診断の為には、いくつもの検査が必要だった。
それ以前に若年性認知症と診断されたメンタルクリニックでは、通院での検査を勧められた。入院して、環境が変わり、認知機能が低下するのを避けた方がいいと言われた。
そのままを大学病院の医師に伝えると、すぐに諸検査の予約を押さえて、その日に髄液採取もしてくれた。
数日後、次の検査の為に訪れた大学病院で、夫は大分体調が悪くなり、その様子を見て、悩んだが、急遽入院させて貰った。
夫は、検査自体を受けないと言っていた。
元々多弁ではなかったが、自分の状態を受け入れられなかったのだろうか…問い掛けても、納得の行く答えは出て来ない…
考えたくない、話したくない、そんな気持ちになっても不思議じゃない…
けれどもう一つ、既に言葉が探し当てられなくなって来ていたのでは…
夫の真意を汲めないまま、私は、ひとまず検査だけはしようよと、彼を説得したのだ。
医師の視線の先にある病の恐ろしさを、私自身も直視したくない、そうではないと言う結果が欲しかった。
夫がその病の恐ろしさを知っていたとは思えない。
その病について、二人で話す事はなかったのだ。
違っていれば取り越し苦労で終わる…
既に残酷な診断を受けている夫に、これ以上残酷な予言なんかしたくなかった。
通院検査を入院に変更するのも、夫は最後まで抗った。大丈夫だから、帰ると…
無理矢理に入院させてしまった。
手続きを終えてから、件のコロナ緊急事態宣言発令(初回)で面会禁止を聞き、愕然とした。
毎日通うつもりでいた。
帰ると言っていた夫をひとりにしなくてはならないとは!
私は重大なミスを犯したのではないのか?
頭の中がぐるぐるして、どうしていいかわからない…
夫はどんなに空虚で無力を感じた事だろう。
入院になったお蔭で検査は予定より早く進み、遂に告知の日が来た。
ALSと診断された。
そうでない事を祈ってはいたが、それでも私はスマホで情報を得ていた、ほとんどスマホも触っていない夫が、どれ程この事態を理解できただろうか…
医師は、この先と最終的な話までをしたが、夫はどこまで理解したのか…
私は泣きながら「肺炎で死ぬのも、喉に詰まって死ぬのも、普通の死に方だよ!」と夫に向かって言った。
いつか年老いれば、皆そのように死ぬのだ、異常な事ではないと伝えたかった。
私の突拍子もない言葉を、夫はどう受け止めたのか…話をする機会が、コロナ禍に奪われた、いや、そうでなくとも私は彼と面と向かって、その話を出来たのだろうか…?
でも、すべきだった。
本当は、たくさんたくさん時間を掛けて、彼の気持ちに寄り添わなければいけなかった…
その時は、時間はまだまだ充分あると思っていた。
まさか4ヶ月を待たずにその時が来るなんて、私も彼も、誰も思ってなかった。
退院して、家で過ごす日々の中では、その事を話すにはまだ早い、まだまだ…
そうやって、彼の想いを受け取らぬままに私は彼を喪ってしまった…