Mosquitoes regret

喪失と自責の記

遺恨・告知翌日

告知の場には、夫本人と私と息子の他に、私の弟1夫婦にも同席して貰った。

義兄にも連絡を取ろうとしたが、繋がらなかった。

弟には、大学病院に繋がってた時に、私がひとりで抱える事に耐えられなくなって電話した。

この病院は、弟2が生まれ、翌日に死んだ、そして私が息子を帝王切開で生み、その10年後子宮全摘した大学病院だ。

実家の近くの高度医療施設として馴染み深い存在、救急車が頻繁に出入りしている、大きな病院。

弟1の奥さんは、結婚前に看護師だったのも心強かった。

 

告知の後、病院での今後の話をしたのだと思う、よく覚えていない。

数日後に退院(ALSは基本的に在宅と言われた)それまでに、ソーシャルコーディネーターと支援や届け出等の話し合い、リハビリの指導、食事と栄養についての指導、やる事が山積みだ。

当日、夫と話をしたのかさえ記憶がない。

 

車で家まで送ろうと言う弟1の申し出を、車に酔いやすい息子を思って辞退して、二人で電車で帰った。


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私は涙が流れ続けていたのだろうか?

車窓の外はもう暗かった。

「ゴメンね、本当は巻き込みたくなかったんだけど…」

モスキートの私は、本気でそう思っていた。

父親の病が、この子にどんな社会的不利益をもたらすか恐ろしかった。

この子を、この地獄から切り離したかったのだ。

「家族なんだから、言ってもらえなきゃ困る」

 

「全然泣けなくて申し訳ないけど…」

泣いてる私に息子が言った言葉。

それは、夫と同じ理性的な感性からの言葉。

 

私は地獄の底で、人生で最高に嬉しい瞬間を経験した。

 

息子は、夫の精神を受け継いでくれた!

 

これ以上の喜びはない。

私は違う涙が溢れた。

嬉しい…夫は確かにこの息子の中に居る…!

私が誰よりも尊敬出来る夫を、息子が取り込んでくれていた…!

 

一人っ子のおっとり屋で、善良で要領の良さを持ち合わせず、泣き虫な子どもだったのに、いつの間にか「泣けなくてゴメン…」なんて…

 

私は本当に嬉しくて、翌日、病院に行った時、病院の配慮で少しだけならと夫の部屋に入れた時に、少しだけ話せた。

「昨日、息子も一緒に聞いていたでしょ?可哀想だったよね…」

最初にそう話始めた時、夫は表情を崩した。

常に冷静で、父親が亡くなった時も、母親が倒れ、入院した病院を見舞った時も、当然私が入院した時も、人前で泣く姿を見た事がなかった夫が…

今、泣こうとしているのか…?

私は動転してしまった。

今思い返して、泣かせてあげれば良かった…そして抱き締めて、私も泣くべき局面だったのだと…

私は慌てて、昨日の帰り道の息子の話を被せてしまった。

許される時間があまりないのもあって、とにかく息子が貴方の血を受け継いで、貴方と同じ様な言葉を繰り出したのだと、それがとても嬉しかったと…夫に伝えなきゃ!そればかりに気が急いていた。

夫の孤独、悲しみに寄り添うチャンスを、私は潰してしまった気がする。


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息子が夫と同じ様な精神を持ってくれてる、その事が私は嬉しい…と言う私の想いを、夫が受け取れて、理解してくれたのか…それはわからない。

私は私の想いを優先してしまった。

 

二度と夫は、崩れる事はなかった。