機能不全家族からの離脱
実家は、母の不機嫌が支配していた。
何か聞かれても、母の中の望ましい答えを選ばないと不機嫌になる。
面倒なので、なんでもいいと言うと、お前は自分の意志がないと責められた。
そのようなコミュニケーションに馴染んでいた私も、夫との生活で、無自覚に同じ不機嫌でコントロールしようとしていた。
先に怒った方が勝ち。
夫に「ちゃんと話せ」と言われて初めて、それがまともなコミュニケーションだと知った。
アサーティブについての本を読んだのもその頃で、自分の感覚、実家での普通が、歪んでいた事を自覚し始めた。
子どもが出来て、自分の育ちの歪さに立ち往生した。
ACと言う概念に出会って、まさしく自分の事だと自覚した。
子育ては血を吐く様な、身を切り刻む様な辛さだった。
「私がしたかったんじゃない!して欲しかったのに!どうしてこの子は当たり前に享受して、当たり前に要求するの?!私は貰えなかったのに!」と泣き喚く幼い自分をなだめながら…
それでも「搾取されてる」と言う怒りがこみ上げる…
我が子にそんな事を思う母親なんて、間違ってるし、私だけが異常なのだ…と言う思いが更に自分を追い詰めた。
運良く自助グループの立ち上げから、友に出逢え、夫の理解も得られ、なんとか嵐を乗り越えた。
私を救ってくれた2人はもう居ない。
今はその2人のお陰で育った息子が残った。
この子に、あと何をしてやれるかと考えれば、自分亡き後の諸々を引き継ぐ為の終活と、彼の負担にならない母として生き、悲しみを長引かせない逝き方を、と願う。
夫の遺伝子をこの世に残せて良かった…
出来ればもっと残れば良かったんだけど…
私には無理だから、他に作ってもいいよ、と夫に言った事もある、でもすぐ撤回した。
息子を悩ませる様な事態は招きたくないから。
自助グループに係わる内に、年若くしてAC自覚し、生きづらさと向き合っている人達がいる事を知った。
Twitterの中で、非出生主義と言う概念にも出会った。
私は子を持って初めて、どうにもならなくなって降参状態になったが、それまでも上手くいかない事はたくさんあって、それでもそれは私が不器用で未熟だからだと思っていた。
もし私が自分がACで、苦しみを繰り返して子を巻き込むかも知れないと知っていたら…
あの、うなじの毛が逆撫でられる様な泣きたい恐怖に慄きながら子どもを見守る未来を知っていたら…私は子を持つことを望んだだろうか…
そうであれば、結婚自体を望まなかったのではないか…
そこはDNAに感謝かも知れない。
私が愚鈍だったから本能に導かれて子を成した、それも極上の相手を捕まえられた。
モスキートとしては運が良かった。よくやった。
その代償が夫の命だったとしたら、私はその罪を背負って生きる…
この先、息子が家を出たいなら出ていいし、結婚したいならしたらいい、しない事を選んでも否定しない。
本人の幸せが大事。
その為の協力が必要ならばする。