Mosquitoes regret

喪失と自責の記

子育て不安→自助グループへ

まず、子どもを死なせない事。

生まれた翌日死んだ弟2の影が過る…

新生児の死因は不明な事が多いらしい。

母は生まれた直後の弟2の顔を見たきり、亡骸には会わせてもらえなかった、当時は母親のメンタルに配慮して会わせないのが一般的だった様だが、母は出続ける母乳を泣きながら絞って「絶対に落としたのだ!あんなに元気できれいな顔をしてたのに、写真の額のアザは落とされて付いたに違いない!」とずっと言っていた。

主治医の居ない休日、若い医師しか居なかったことも病院への不信を募らせた。


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赤ん坊が元気に生まれる事は、普通な事では無い。

私は妊娠がわかった時、絶対に「五体満足」を祈らないと決めていた。

身体に欠落や異常を持っていても、知的ハンデがあっても、私はこの子を育てる、その覚悟なく子を望んではいけないと思っていた。

定期健診で特に何も問題はなくても、ルンルンな気持ちからは遠かった。

 

何しろ弟2は死んでいる。

 

生まれた子に、当座の障害がみられなかったのは、たまたまそうだっただけだ。

ほんの気持ちだけ、ナースセンターにあったおぎゃー献金http://www.ogyaa.or.jp/)の箱に投入した。

 

家に戻ってもおっぱいのルーティンは変わらない、3時間ごとの授乳の為に夫とは別の部屋で過ごした。仕事に差し障ると思ったから。

 

今振り返れば些細な事で心配して気持ちを削った、皆が通る道だったとわかる。

でも、私には全てが初めての事で、上手に出来ないのは当たり前、大丈夫…とは思えなかった。

弟たちは大丈夫でなかった。

 

私には子どもが光輝いて見えた。

無垢で善なる物の象徴の様に、穢れた私を無惨に照らし炙る…

この前に己のみすぼらしい姿を晒す事が耐えられない痛みとなった。

まともに顔を合わせられなかった。

それでいて全てを要求する神に怒りも抱いた。

私が欲しかったものを、当然の様に私から搾取して行く。

 

私がしたかったんじゃない!欲しかったんだ!

暴れるインナーチャイルドを押さえる為に、私は自助グループに参加した。

 

夫は私の恐怖を、共感は出来ないが理解する、と言って支えてくれた。

私にはその頃の破裂しそうな焦燥感に怯えているばかりな記憶しかない。


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子が育ってから夫に「あの頃オレも仕事が忙しくて帰りが遅くて悪かったな…」と言ってもらったが、そんな記憶もない。

ただ、月2回土曜日の自助グループに、一度だけ夫の仕事が被り、ギリギリ20〜30分帰宅が間に合わず、子をひとり置いて先に出る事になった時、その間に何か起きて、取り返しのつかない事が起きるのではないか…本当に恐ろしくて気が狂いそうで、その時は夫を恨んだ。

そこまでしても自助グループに参加する事は、私にとっては命綱だったから、欠席はしたくなかったのだ。

 

其処でしか出逢えない仲間、アノニマス(匿名)での会なので、どこの誰だかわからないが、同じ苦しみに身を割かれて泣く仲間との、いくつもの夜があったから、なんとか子育て期を渡りきれた。

自分ひとりじゃない…と知る事のありがたさ。

虐待が話題になる世の中で、おおっぴらに公示出来ず、それでもなんとか糸を手繰って、一緒に泣いた彼女たち、きっともう二度と会えないだろう…

それぞれの幸せを祈る…