スクワランオイル
夫に似て肌が弱い息子の髭剃り後に夫が使っていたスクワランオイルがいいんじゃないかと、まだあっただろうと探したのに見つけられなかった。
納骨を踏ん切りに、洗面台周りを少し片付けた時に、使いかけは捨てたかも知れない。
それとも…
生前からもう切らしていたのだろうか…
いつもの生協では扱ってなくて、少し不便な場所にある店舗までバイクで買いに行っていた夫。
最後の時には私も後ろに乗って行った。
あれはいつだったろう…
帰り道に寄ったファミレスは更地になっていたのを、先月の月命日に弟夫婦と墓参りの帰りに通り掛かって見た。
涙が出た。
夫の人生の最終章、ピリオドから1年以上が過ぎてしまった。
思い出せない事、記憶が欠落している自分に慄く…
最後の入浴は、遂に私が付き添った。
湯船から自力で立ち上がれなかった。
二人で笑いながら体を拭いた、あの時スクワランオイルは…塗らなかったな…
その前までは付き添いを固辞して一人で済ませていた、オイルまでは自分で塗って、その後薬を私が塗っていた。
さいごの日々に、何故もっと暖かく接し、安心を手渡せなかったのか…もっと触れて、抱きしめて、キスして、愛していると伝えれば良かった…
久々に後悔と自責の涙に濡れて眠った。
あまりの辛さに、Twitterの闘病アカウントを遡った。
抜け落ちた記憶を補完して、ソコまで非道い妻ではなかった…と、自分を慰め、安心する為の作業だ。
日記も手繰った、バイクの後ろに乗った日はわからなかった、それはごく普通の日常だった。
皆、自己弁護する為のアリバイ探し…
それでも…
その度に、闘病の中で必死に、その中でそれなりの幸せを噛み締めていた、当時の自分と付き合ってくれた夫がいた事を思い出させてくれる。
もう、自己弁護しなくていい私になりたい…
私の事を一番許せないのは私。
「充分やった」から許されるんじゃなくて、「てんでダメ」でも許す。諦める。
だって夫は必要だったら私を罰するだろう…
いや…罰さないかな…ダメな、そのままの私でいいから、と言ってくれる…そう思えるから、そろそろ『自分』への拘泥を手放したい。
その為に、何をしたらいいだろう…
借りて来たフランクルの本は頑張って読みたい。