Mosquitoes regret

喪失と自責の記

童神

先日TVで石垣島を旅する番組を息子と並んで観た。

石垣島には、夫と二人で、その後息子と3人で旅行した。

3人で行ったのはもう16年前…

子の年齢的に、無邪気にはしゃぐ姿をビデオに写せるラストチャンスだと思って、私は結構頑張って撮影した。

いずれ育って大人になり、遠く旅立つだろう…と、年老いた夫と二人「楽しかったね、息子可愛かったね」と、涙ながらに眺めるのだと思っていた。

その相方がいないとは…

その夫の姿の残る映像を、当の息子と見る事になるとは…

あの頃想像も出来なかった。


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TVが良いきっかけだと思って、翌日、石垣島旅行の録画映像を観た。

私の中の夫のイメージと寸分違わぬ夫の姿に、少し泣いたが、あまりに見慣れた、あまりに当たり前な夫の姿に、やはりここに居るとしか思えない。

マイペースな夫は録画映像の中でも時々離れてしまう、それは私がモスキートで息子ばかり撮っていたからでもあるが…

今も私の視界から少し外れているだけで、きっとここに居る…そうとしか思えない。

 

まだまだ幼い息子と子育てに戸惑う未熟な自分の声は、懐かしいだけではない痛みも思い出させた。

 

バスでの移動中、疲れて眠る息子の寝顔を撮っている。

バスの車内には『童神』が流れていて、その歌をBGMに、眠る我が子を、祈る気持ちで撮影した。

♪泣くなヨ〜ヤ〜 ヘイヨ〜 ヘイヨ〜

てぃだぬ光受けて〜…

この歌を涙と共に何度聴いた事だろう。

 

今見ても、幼い我が子は心に痛い…

神様だから、見れば目が眩み、触れば焼け爛れる…そんな当時の感覚が蘇った。

私が録画していたので、自分は写っていない。

この録画映像に写る夫も、あの頃の息子も、私は両方喪ったのだ…と言う、深い悲しみが改めて湧いてきて、隣にいる、大人になって私を支えてくれる息子に、どう恩返ししたら良いのか、戸惑うばかりだ。

 

思えば、この石垣島への旅行の翌年、私は胆嚢炎で入院し、ひと月以上の入院手術となり、多分その「母の不在」で息子は一息で大人になってしまった気がする。

私も、「在りたい母」の理想から逸れて、身体が思う様に動かない事で、諦める事を学んだと思う。

そんな意味でも、あの石垣島の旅が、息子が子どもらしく居られた想い出となったのだと思うと、まばゆくて涙が出るのだ。