Mosquitoes regret

喪失と自責の記

海の幽霊


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米津玄師『STRAY SHEEP』には、気になっていながらまだ観ていなかった劇場版アニメ『海獣の子供』のテーマ曲『海の幽霊』も収録されていた。

 

原作の漫画の作者、五十嵐大介さんは大好きな作家さんだ。

夫と半同棲になった頃、夫が定期的に買っていた雑誌に『はなしっぱなし』と言う不思議な読切りを連載していて、その特出した感性と画力に魅了された。コミックスも2巻までは買った。

夫は当時のその雑誌を高く評価していた。

他誌では見ない、挑戦的で実験的な作品が載っていたからだが、やがて編集長が変わり、誌風もガラリと…普通な感じになってしまった。ブツ切られた連載への言及もなく、夫はガッカリして愛想をつかし、購読をやめてしまったので、五十嵐さんのその後を長く知らなかった。

海獣の子供』は、初めての長編連載と言うウワサは聞いていた。

本屋で単行本を手に取った事もあった。

でもその頃の私には、気持ちに余裕がなかった。


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第一巻が出版されたのが2007年8月4日…

丁度私が入院していた時期だ。

胆嚢炎からの腸閉塞で七転八倒して近所の病院に11日間入院、胆嚢の他に子宮筋腫も大きくなっているから取ったほうが良いと言われて、帝王切開から筋腫を診てもらっていた大学病院に、手術の前の検査中に体調悪化し、緊急入院となった。7月、息子の夏休み初日。

検査でアチコチ歩き回るうちに、どんどんしんどくなって、待合いで「こんなに人が居て、ドアの向こうには医師も看護師も居るのに、こうやって死ぬのかなぁ…」とボンヤリ思った頃、採血結果を持って医師が来た。

何かの数値がとても良くないから、すぐ入院と言われ、その場から車椅子に乗せられた。

何も持って来ていないから、夫に伝えて持ってきてもらった。

まだ手術日も決まってないのに…

途中で絶対安静にもなって、激痛にも耐えた。

「死んじゃうかも」と言う書類に何枚もサインして、検査や治療にストレッチャーで移動、痛みで弱気になってる所に夫はなかなか仕事で来られない、息子は両家の実家を頼ったり義母に家に来てもらったり、でも小学生は病室に入れない、自分も淋しいが息子が心配で泣いた…

手術日が決まり、途中退院も外出も出来ないまま、33日間の入院となった。

思い返したら、私も検査中に体調を崩しての緊急入院だったんだな…病院も同じ…

「死んじゃうのかな〜…」とボンヤリ思ったけど、リアリティなくて怖いとは感じなかった。

帝王切開の後の子宮筋腫の定期検査で、細胞の変異?があると…コレが癌化する可能性もあるからと、追跡検査になった。

その時は子どもを生んだばかりで「死にたくない」と強く願った。

せめて小学校にあがる姿が…いや、成人する姿まで見たいと祈った。

それから十年後、その子宮を丸ごと取る事になり、子を与えてくれた子宮ともお別れ…

子は10才になった。もう私が居なくても大丈夫かも知れない…

もしかして、夫は私の延命を祈ったのだろうか…?

自分の寿命をあの時、私に与えてしまったのか?

もしそうなら、私は貰った夫の命を無駄に捨ててはダメなはず…

 

最後の第5巻は2012年8月4日に出ている。

震災の翌年。

その経験から、夫はPTA、市、地域に働き掛け、防災講演会を実現させた。

息子に残したい父としての晴れ姿だった。

その講演会が2012年冬、丁度息子は高校受験のタイミングであまり熱心な聴衆ではなかった。私も受験シーズンなのに…と、やや迷惑位に思ってた。

 

その、晴れ舞台の記録を昨日やっと過去ログの中に探し出せた。

当時の自分の態度の申し訳無さ、夫が大切に思っていた事の記録を、ちゃんと保存していないと言う情けなさが、やっと少し救済出来てほっとしている。


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米津玄師『STRAY SHEEP』を聴いて思い出して、原作を読んでからレンタルで映画を観た。

映画公開が2019年6月…

共に子育ての荒海を支え合った友はその年の5月に癌で逝った…

精神的にドン底だと思った、翌年夫を喪ってその底も抜けた…

 

だから、本当に知らなかった。

あの水族館が舞台だと。

あの海だったと。

当時はコラボもされたようだが、全く入ってこなかった。

主人公の名前が『るか(琉花)』なのも知らなかった。


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この話が、生命を巡る大きな話である事、このタイミングでやって来た事、全部夫からのメッセージだと思っている。