愛するとは…ルー・ゲーリック・デーに寄せて
「愛にはエロス、アガペー、あとなんだっけ?3つあるのよ、尊敬はアガペーだから、それは愛よ」
私は夫の事を、全人類で1番尊敬してる、けど、触れない抱きしめられなくて寂しい悲しい…と言う感情は、他の伴侶喪失者よりも弱いと思う、それはグリーフサポートしてもらった人にも言われた。
夫への情が薄いのだろう…申し訳ない…
子育て期も、この子という鏡に乱反射されて自身をズタズタに切り裂く刃が、果たして愛なのか…なんなのか…わからずに泣き明かした。
愛にはいくつもの形がある。
そんな事、何処かで見聞きした事はあるかも知れない、けれど、必要な時に、信頼出来る人から手渡されて初めて自分の中に結実するものなのだな…
その言葉が私を救ってくれた。
私の想いも愛なのだ。
同じ病で同じく伴侶を看取った彼女が、私と近い自責の種を告白してくれた。
その事が彼女をこれ以上苦しめる事が無いように祈る…
私も、タイムラインに流れて来たツイートにパニックを引き起こされた自責の種がある。
けれど、話をして、目の前の信頼出来る人に受け止めて貰う、そして口から出たその自らの懺悔を自分の耳で聞く事で、その罪の、自分の中の置き場所が変わった気がする。
なくなりはしない。自分を戒める為に、光を鋭く跳ね返す場所に置いていたけど、もう少し柔らかな自然光の仄かに射す、穏やかな場所に移動させる事が出来た気がする…
代わりに今、私の心を射るのは「夫が、泣きかけたあの時、泣かせて一緒に泣けなかった」後悔…
夫は理性的な人だった。
父親の死にも、母親の病にも、乱れる事はなかった。
乱されっぱなしな私からは偉大に思えたが、実は本人は「感情が動かない事を後ろめたく思う事もある、泣ける人は泣いてあげるのがいいと思うが、オレはそうじゃないから、別の所で別の形で力になってあげたい」と言っていた。
その、理性的で感情に流されない性分を、息子がちゃんと引き継いだ事を、皮肉な事に、病の告知の直後に実感した。
「泣けなくて申し訳ないんだけど…」
帰りの電車の中、泣いてる私に隣の息子が言った。
人生のどん底で、人生で最高の瞬間に出会った。
謝らないで。その性質はお父さんからのもので、私はとても素晴らしいものだと思う。お父さんと一緒で嬉しい。そんなような事を言ったと思う。
本当に嬉しくて、この事を夫に教えてあげなきゃ…私は舞い上がっていたのだろう、翌日病室に少しだけ入れた時に、私は夫の心を思いやる事を忘れていた。
この人が、昨日、治療法のない死に至る病だと、告知された本人だという事を思いやれなかった。
「昨日、あの場に息子も居たでしょ…?可哀そうだったよね…」そう前置きのつもりで言った時、夫か思いがけず顔を歪めたのだ。
泣きそう…?
初めての事だった。
私の前でそんな表情をするのは。
私は動転してしまった。
受け止めてる準備が全くなかった。
だから…コロナ禍で長居が出来ないのを言い訳に、畳み掛けるように昨夜の息子の様子、息子は大丈夫だと、あなたと同じだからと…被せてしまった…
あそこで、泣かせてあげればよかった…
そして私も一緒に泣けば…何か、言葉じゃない何かを伝えるチャンスだったのた、最後の…
その後、夫は一切乱れる事はなかった。最期まで。
やり直せるなら、あの一瞬をやり直したい。
結果が変わらなくても…彼の悲しみを受け取るチャンスを、私はドブに捨てた…弱すぎる…
詫びたい事はたくさんある…
でも、私が楽になる為にならそれは叶わなくていい、寂しさ悲しさ悔しさ…それらと一緒に持っていく。
傷は傷のまま、いつか乾いて傷跡となっても、いつまでも痛む古傷であって欲しい。
忘れたり、治ったりしないで…
そのまま、罪人のまま、歩いて行けますように…