Mosquitoes regret

喪失と自責の記

猫好きさんは読まないで下さい


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暑くなり始めた頃だったろうか…時々猫の声を聞いた。

ご近所で飼われていた猫は数年前死んだと聞いた。

この辺りでは猫は嫌われる傾向があって、あからさまに猫に敵意を示す若いお母さんに、動物なんでも好きな私は「そういう人も居るんだ…」と意外だった。

そんな猫嫌いに追い払われた野良猫だろうか…?

雨の夜も声を聞く…

ビックリする程心が乱れない。

子ども時代、猫を拾って来て怒られた。

それでも2回、実家で拾い猫と暮らした。

最後に居た白猫が死んだ時は、一緒に死んでしまいたいと思う程だった。

 

それ以後も猫や犬を愛でたい欲求は強く、それ以上に捨てられている猫の声に心を乱し、居ても立っても居られない感覚に支配された。

救わなければ…その焦燥感は投影だったと今は理解してる。

子を育ててACの問題と対峙して学んだ、あの鳴いてる猫の声は自分の様に感じて、放って置く事がどうにも辛いのだ。

「助けて、愛して」と泣いてるのは自分だった。

 

子育て中、もし子が猫を拾ってきて「かわいそう…飼いたい」と言って来たらどうしよう…

不安でいっぱいだったが、遂に一度もそんな事はなかった。

夫はアトピーで子も小児喘息になるかも…と言う体質で、私は飼うのは諦めたが、夫も子も小動物に取り立てて関心がない様子だった。

父が飼っていた柴犬の懐っこさにもどう対処していいか困惑する感じ。

子は小さい頃猫に引っ掻かれた経験からやや苦手かも知れない…

おかげて過剰に「かわいそう」と言う感情に晒されずにここまで来られた。

窓の外から聞こえてくる鳴き声に、少し胸は痛むけれど、「ここで鳴かずに何処かに行け!」と追い払わずに、だけど私にしてあげられる事はないよ、と境界を引くことが出来た。


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私にもっと強い慈悲の心があれば、保護して避妊手術をして飼い主を探すなり保護団体に頼むなり、するのかも知れない。

私にはわからないのだ。

人間が人間の暮らしやすさの為に、動物に避妊手術をすることが、今も傲慢に思えてしまう…

それに、私は夫を救えなかった妻だ。

それなのに、他の何者も救えるとは思えない…言い訳かも知れないが、私にはその資格はないと思う。

 

軒先から「うるさい!」と追い立てはしない、けど、食べ物もあげない…

 

お遍路さんへの御接待に、「ウチの軒先で死んでくれるな(縁起が悪い、面倒だ)死ぬならヨソの家の軒先で…」と言う意味合いもあった、と何かの本で読んで、人間臭くて全くの善意と言われるよりほっとした。

私は御接待はしない。

うちの敷地で死んでもいい、その時は、せめて埋めてあげよう…それくらいしか出来ない…