Mosquitoes regret

喪失と自責の記

1年



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このブログを開設して1年が過ぎたみたいだ。

googleフォトが『去年の写真』で墓苑の写真を提示してきた、そうだ、納骨を期に自分の罪と向き合いたい…その場所としてここを作った。

 

足掻いて、手を彷徨わせて、つかまる何かを探して…踏み出し続けた1年だったな…

家では、身体は相変わらずナメクジのように縦になってない時間がほとんどだけど…

スカスカで、風がビュービュー吹き抜ける心を、必死で抱きしめた。

どうすれば贖えるのか…

夫の人生を喰い潰し、その悲しみに寄り添いきれなかった罪を…

「私が」「私が」ばっかりだと、最初に訪ねたお寺さんで言われた…

「彼の平安を願っては?彼は貴方にどう過ごして欲しいと思ってるかしら?」

夫の感性は私と違っていて、なかなか正解に辿り着けないのだけれど、それでも、妻が自分を責めて悔やんで泣く事を、喜んではいないだろうと言う事はわかる。

それなら…自傷行為のように自らを責め立てる、この自己満足を止めるべきだ…

本当に?でも…私は罰が欲しい…

夫より子を優先し、今もその子と、夫が汗して身も心も削って建ててくれた家に守られ、ぬくぬくと生活している自分に…

それを欲しがるのがエゴで我執、それと戦って血を流す事が、このロクデナシのままで恥知らずに生きて行く事こそが贖いの道なのだろうと…薄っすら分かって来た。

赦しを求めるのは逃げだろう…私は私の道を生き切ろう。

 

藻掻くうちに、たくさん学んだ。

学びから次の灯火を見出し、シンクロニシティが繋がって…今の私が1年前とどう変わったか…変わってないのか…それはどうでもいい。

此処で告解したこれまでの生い立ちと傷付き、それら全てがグリーフの対象だったと辿り着いた。

私は、夫と死別したから不幸になった訳では無い、もうずっと以前、幼い頃からの傷付きが重なって、父の認知症から死と、大切な戦友の余命宣告から死、それらが私を壊し、壊れた私を夫に晒してしまった、「死にたい」と夫に言ってしまった、その罪を詫びる事も許さず病が夫を連れ去った…

夫が、全てを抱えて飛び去ってしまった、私を救う為?

いや、私に子を護らせる為だろう。

その、子さえ夫が与えてくれた、私が渇望した宝物だ…自分の幸せは全て夫からのGIFTだった。

モスキートなのに…

 

グリーフは多分、ライフワークとなるだろう。

去年、お寺さんで差し向かいで話した日から、死別者の分かち合いの会をいろいろ探して、飛び込んで行った。

後退る気持ちを「でも、夫との合作ポストカードを受け取って貰えるかも知れない」夫の痕跡を何処かになるべくたくさん遺したい!と言う使命感で鼓舞して、初めての場に臨んで、同じ話を何度も繰り返した。

今も機会を探してはポストカードを手渡し続けている。

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