ポルタの銀のバケツ
かつて横浜駅東口ポルタに設置されていた銀のバケツの動く彫像『光の雨』(作者・新宮晋)
いつ、どう言う理由で無くなったのか判らないが、設置は1981年との事。
この前で待ち合わせした人々が、一体どれ位いるだろうか…
私と夫もその一組だった。
ググっても撤去の経緯はわからなかった、Twitterで唯一ヒットしたtweetを引用RTさせてもらったら、ツイ主さんからリプを頂いた。
https://twitter.com/ikkyuu2020/status/1546314565054410752?t=6xxUfNtA1fwdknJjxE8mgA&s=19
私の他にも懐かしく思っている人がいて嬉しかった。
そのツイ主さんが先日、作家の新宮晋さんに連絡を取ってくれ、『光の雨』に関する資料を頂いた事、それを私へシェアする事も了承して頂いた事、DMで知らせて下さった。
思い掛けない御親切に、優しさに泣いた…
ツイ主さん、新宮晋さん、本当にありがとうございます。
夫と初めて待ち合わせしたのが『光の雨』の前だった。
初デート。私はその先の、横浜そごうで5年程働いていた。
辞めて求職活動中のタイミングで、同窓会で夫に再会した。
同級生だった。私は当時よく知らないクラスメイトの彼がなんとなく気になってはいた。
自己肯定感が低いから何も動かなかったが、再会した酒の席で「あの頃イイナとちょっと思ってた」と言われた。リップサービスだったかも知れない。
でも、少なくとも悪感情は持ってない様子…
これを逃したら次はない…帰りの電車の中で、他のメンツからの話も上の空で私は決意を固めた。
次の朝、駅前の公衆電話から名簿の番号に掛けた。その前に缶ビールを一本飲んで勢いを付けて…
お父さんが出た。同窓会の事で話がある、と用事を捏造して一人暮しの番号を教えて貰って、再度掛ける。
何を喋ったか覚えてない。
じゃあ一回会おうか、と言う話をもぎ取ったのだ。
そして待ち合わせ場所に指定されたのがそこだった。
彼は優しい人だから、電話したら一回位はデートに誘ってくれるんじゃないか…そう踏んでいた。
そうバラしたら、ちょっとマイッタ顔をして「そーか〜…そう思ったか〜」
まんまと罠にはまった彼…
あの頃、彼と付き合う事が叶って、面接試験も2つ共受かって、再就職も決まった。
人生で初めてポジティブだった、決意して進めば何とかなるのかも…
再就職先は実家からも通えたが、彼ともっと一緒に過ごしたい気持ちから、初めて一人暮しを決行した。
面接で、座右の銘を訊かれて「求めよさらば与えられん」と言った。
今、思い返すと驕り高ぶりの頂点だったのだな…
その毒で、夫の人生を搦め捕ったのだ。
『結婚』と生活、子を持ち家庭生活を送る、私が望んだ全ては叶った。
その子を育てるに当たって、己の歪さにのたうち回る想定外の一幕も、夫の存在が全部受け止めてくれたから、何とかやり過ごす事が出来た、子は育ち、成人し、社会人となったその年…夫の病が明らかになった。
夫は、夫の人生を…満足しただろうか…
申し訳無さでいっぱいだ。
私はもうこれ以上望めない位、願いを叶えさせて貰った。
ずっとラブラブではなかった、死にたいと何度も泣いた、夫はネガティブになった事は一度もない。
夫が居なかったら、私は生きてないかも知れない。少なくともこれ以上の人生はなかった。
夫を選び取った私、グッジョブ!と褒めたいのと同時に、やっぱり私が、私の『生け贄』にしてしまった…と言う大きな棘と傷をこの胸深く突き刺したまま、血を流しながら生きて行く。
それでも。
あの、付き合い初めて、人生で初めて得たキラキラした日々、心の豊かさ、ときめきはそのまま思い出せる。色褪せない。
思い出すと涙も出るけど、手放したくはない大切な宝物…
この先も何度も思い出をなぞれる、その手掛かりを、本当にありがとうございます。
新宮晋さんの個展が近日ある、これも御縁と思う、息子と訪ねる予約をさせて貰った。