面影屋ーおもかげやー始めました。似顔絵描きます。
3ヶ月ぶりの精神科通院。
新しいスマホの写真も試す為に少し歩いた。
3ヶ月の間に「これは先生に訊いてみよう、アレも確認しておこう」と思う事がたくさん積み上がる。
実際に診察室に入ると、まず、初診で泣きながら話す私の話を聞きながら、死に向かう夫の様子、一言も泣き言を言わず(病で言えず)投げやりにもならず、静かに過ごした事に深く感嘆して、先生が薦めてくれたフランクルの本、『夜と霧』をやっと読んだ事を報告した、また泣きながら…
「今は鬱で読めないだろうけど…」と。
1年半以上掛かってしまった。
フランクルに夫を重ねてくれた先生に感謝。
私も夫にフランクルを重ねる事で、夫の人としての凄さを再認識出来た。
たくさん泣いた。
その横に、ずっと夫はついていてくれた、自責する妻をきっと心配しているだろう…と思えた。
支えようとする手を感じる。その手を信じて握りしめ、生きて行こうと思う。
私が食い潰した夫を、身中にいつも感じて、自責の暴れ石は心の一番深い所で握りしめ、血の涙はいつかその石を輝く宝石にしてくれると信じて…
最近の自分の心情を4コマにした。
コレも大き目に刷り出して持って行った、先生はとても喜んで「素晴らしい!」と褒めてくれ、そのままスティック糊でカルテに貼り付けてくれた。
似顔絵描きの事も「是非やりなさい」と…
「貴方にはそういう才能があるんだから」
そう言って鼓舞してくれる先生に
「私なんかの絵で…」と自己卑下が出てしまうのに
「貴方のその自己肯定感の低さは、子どもの頃から?」
涙で頷く。
「親のせいだね、その親もきっと親からされたんだね、こういう日本は明治以降の軍国主義からなんだよ?それ以前の日本は、そうじゃなかったんだ」
その昔の文化が、何処かにきっと受け継がれているだろう…それを探して繋がりたい…
Twitterのタイムラインに流れてくるいろんな人の読書感想から、読んでみたい本をピックアップしている。
まず図書館で検索して、無ければリクエストして、まず読めるか、読みたい本はAmazonで注文する様にしている。
昨日も用意してもらえた4冊を図書館に寄って引き取って来た。読めるかな…?
Twitterで、フランクルを読んでいる人が哲学を学んでいると知って、夫も哲学に関心が高かった事を思い出し、哲学カフェにも参加してみた。
グリーフの会とは違い、死別前提ではないけれど、自分の判断でその場での開示の深度も任される、私はその話がしたくての参加だから、他の人を驚かせてしまったかも知れないが、その、死別者が感じている、未経験の一般との分断も気になっているので、初回なのに色々冒険した。
それでも、主催者は慣れていて、うまくファシリテーションしてくれて、他の参加者の話も面白く、とても学びの多い場を頂けた。
また別の会にも参加を申し込んでる。
こんな風に今、動き過ぎているのではないか…良くない転換では…?揺り戻しがあるのでは…?と、不安もあった。
先生は大丈夫、どんどんしたらいい、と太鼓判だった、安心した。
また3ヶ月後、と診察を切り上げるタイミングで、こんなのを手渡した、ほんのおみやげ。
庭の葉っぱをちぎって粘土に埋め込んだ欠片、これも先生は大喜びしてくれた。
引出しを開けてひもを探して、机の一角を指した。
そこには素朴な手作りの色々が並んでいた。
フクロウが多かったから、好きなのかな?次はフクロウを作ってみようかな…?
暖かな人柄と、引出しの中のゴチャゴチャを見て、心がふんわりとした。
この先生に繋がれて、私は幸せだ…
みんな夫の引き合わせ、ありがとう…
描かせて頂いた似顔絵も、鍵無しページへの移行を快諾頂いたので、ここにもリンクを貼って置きます、ありがとうございます。
リンクまとめも置いて置きます…
https://lit.link/admin/creator