30年目。
夫を喪って半年後、勧められて通い初めた精神科も3年を過ぎた。
「貴方はだいぶ前から鬱だったんじゃないの?」
持参したこれまでの顛末と略歴を読み、開口一番そう言われた。
身体の自由と認知機能を失ってこの世を去らねばならなかった夫の無念さを思う、理不尽さに泣く。
「人間にはね、態度価値というものがあるんだ。どんな状況であっても、貴方の旦那さんは変わらず居たんでしょう?それは凄い事だよ」
そう言って勧めてくれたのがフランクルの『人間とは何か』だった。
「しばらくは(鬱で)読めないでしょうけど、何ヶ月かかっても読んだらいいよ」と…
分厚く難しかった。
3年かかってしまったが、やっとなんとか読み、先日報告する事が出来た。
「偉いね!3年かかっても読んだんだから、凄いよ」
そう褒めてくれた先生が、失礼だけどずいぶん年を取って見えて…そりゃそうだ、あの日からもう3年経ったのだ…
今は3ヶ月毎だから、診察日にアレも話そうコレも聞いてみよう、と思っていたのに、あとどれ位話を聞けるのか…そう思うと胸が詰まってしまった。
先生のおかげでフランクルを知る事が出来た。
今はフランクルの本を探して、更に哲学や仏教、死生学と関心が広がって、家の中が本だらけだ…
フランクルの言う「人生が私に望んでるもの」
先日X(ツイッター)で雷に撃たれる様に思い当たった…
息子の為に生きる。
そんなのはわかりきっていて、当然の事だったけど、私はどうして忘れていたのだろう、夫の病の遺伝子検査をしていないことを…
一昨年、その事への不安が膨らんだ時、同じ状況の先行く仲間に相談をした、彼女は医者から「遺伝子があったとしても発症するかどうかは半々だよ」と言われたから、子の遺伝子検査はしていないと教えてくれた。
その言葉にホッとした、が、これは本人にも伝えるべき事だと…だけど…そんな残酷な可能性を伝えるべきか悩みつつ、迷うままで伝えた。
「それは貴方が悩む問題じゃなくてオレが考える事だから。まあ(検査)しないけど…」
あの日のめずらしく強い口調を何故私は忘れていられたのか…
可能性の問題…それなら他の病や事故だってある。
だけど夫と同じ病が息子を襲うかも知れない…
その未来は考えたくなかったのだろうか…
「その時は全力で支える」
そう誓ったのに…
ふと、夫が最期に伝えたそうにしていたのは、その事だったのでは?という、都合のいい思いも立ち上る…
あの時、喋りたそうにしたのは、別の事かも知れない、それはこの先もずっと考え続ける…それでも、息子の万が一の時の為に私が少しでも役に立てる形で生き残る事を夫は否定しないだろう…
私は生きる、息子がいつ病に倒れるかも知れない…そう思いながら、それが伝わらない様に最悪に備えて生きる…
私が…私の長年の鬱が、ストレスを与え続けた事で夫を弱らせた、夫の前で何度も「死にたい」と泣いた自分の罪、最終判断での己の未熟さ思いやりの足りなさが今も黒く燃えて私を焦がし続ける…
私が切望していた罰はあった、気が付かないだけだった。
この罪の罰が、私が生きる理由…
生きてしまってる言い訳かも知れないけど、夫を養分に消化してしまったモスキートは、最期まで我が子の為に生きる、それを全うすべきだよね…