Mosquitoes regret

喪失と自責の記

投票券に思う

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衆議院選挙の投票券が届いて、彼が初めて棄権した日を思い出す。

意識の高い人だったから、行かないと言ったのは初めてで、私はショックだった。
子どもの前で、善き手本と在るべきと、私も彼も思って来た。
体調が悪かったのか…投票所はすぐそこなのに…

調べたら2月の市長選だった。
大学病院に紹介される直前、まだ仕事に行っていた。

息子と二人で投票に向かい、仕方ないね…と言いながら、私は子どもに『棄権する父親』の姿を晒した夫に正直、怒りを抱いた。きっと態度にも出た。なじる口振りだったと思う。

今思えば、既に読み書きに不便を生じていたのではないか…
まだALSの診断はされる前だったが、すぐ後に紹介されて訪れた大学病院の難病担当医が初日に「検査をしないと診断は出来ないが、おそらく…」と言った。

今、振り返ると、当時の夫の苦悩や不安を思いやれてなかった。
自分が受けた「夫が死に至る難病」と言う衝撃を、夫無しで、一人で受け止めるのに必死だった。

父の事も、友の死も、側に夫が居てくれた。
その夫が…

先生は、検査を予約するかと聞いた。
夫は検査はしないと言った。
どう言う意図なのか分からない。
私は、検査はしようよと言ったと思う。
先生が「検査をしても、僕の見立て通りなら治らない病気です」と言った。

私は先生に聞いた「でも、検査して診断が出ないと薬も貰えないんですよね?」
「そうですね、薬は診断が出ないと処方出来ないですね。薬は、治療薬ではなく、進行を遅らせる物です」

それが2月。
「今、決めなくてもいいです、次回までゆっくり考えて下さい」と。
次回は4月だった。そんなに間が空いて大丈夫なのか?大丈夫、そんなに慌てる事はない、そう言われて、持ち帰って話し合う事にした。

まだ診断はされていない。
その日、夫とどんな会話を交わしたか…思い出せない。
私は事前に、紹介状を書いてくれた掛かり付けの内科の先生から出た「変性疾患」と言う言葉をスマホで検索していた。
恐ろしい病気が並んでいて目の前が真っ暗になった。
でも、そうじゃないと言う事をハッキリさせる為だからと…それでも、もしかしたら…と、不安な保険も心に置いて大学病院に向った。
こんな不吉な事を息子はもちろん、夫本人にも話せなかった。
思い過ごしてあって欲しい!
大げさな取り越し苦労で終わってくれれば、私の胸の中だけで嵐が過ぎ去って、違う景色が開けて行くのだから、余計な心配を掛けずに居たいと願った。

だから、夫には話が飲み込めなくても無理はない、予備知識無しでALSと言われても、受け入れられなくて当然だ…
それでも…検査の結果、違う病気とわかればその治療が出来る、私はとにかく検査は受けるべきと説得したのた、きっと。

理由は言わず、ずっと「受けない」と言った夫の、本当の気持ちはどんなだったのだろう…
私はそこに触れられなかった。
思いを寄せ足りず、寄り添えなかったのだ…
そこへ踏み込む事が出来なかった。
たった一人の相棒だったのに…
無能過ぎて、自分が憎い。
彼を一人ぼっちにしたのだ。