Mosquitoes regret

喪失と自責の記

荷物

夫はバイク乗りだった。

私は原付バイクで通勤していた事はあったが、大きいバイクの後ろに乗るのは初めてだった。

まして後ろに乗せたことなどない、最初はわからず、運転する夫にしがみついたが、どうやって乗るのが運転しやすいのか尋ねた。

「しがみついても、サイドバーやベルトを掴んでも、怖くない様に、安定する方法で。荷物になったつもりで、任せて乗っかってて欲しい。カーブでは運転者に合わせて体重移動して」

荷物になったつもりで…

大きなトラックの横をすり抜けたり、怖いと感じる場面では、変に体が反応しないように、運転に差し障らないように、私は目を瞑った。

夫の体重移動に息を合わせた、荷物になったつもりで。

 

1人の時にコケた事はあったが、私や息子を乗せて事故った事はなかった。


f:id:kazanea:20211109154845j:image

若年性認知症と診断されて、仕事では車を降りた。

バイクも諦めねばならないだろう…

まだALSの診断前だった、夫はいつもメンテナンスでお世話になっているバイクショップへ、オイル交換に行くと言う。

まだ、大丈夫と思いたい、でも…万が一…

私はバイクを回す夫に「もう、やめた方がいいんじゃない?」声を掛けた…

その時の眼差しが、初めて見る怒りの色をしていたのを忘れない…

何も言わす、バイクを道に出した所で、多分もうALSによる筋力低下が始まっていたのだろう、夫はバイクを倒してしまった。

どんなに悔しいだろう…悲しいだろう…

私は駆け寄り、それを起こすのを手伝った。

「疲れているから…」

夫は無言でバイクに跨がって出掛けた。

帰った夫は「バイク屋に言ってきた」と…

たしか、それ以来乗っていないと思う。

バイク屋にも、辞めた方がいいと言われたそうだ。

だんだん力が入らなくなって来る…

それはどんなに恐ろしかっただろう…

そんな思い出があったから、バイクは早々に件のショップに引き取ってもらってしまった、夫の最後の愛車なのにと、少し経ってから後悔した。


f:id:kazanea:20211109154139j:image

昨日、ふと、思い出したのだ。

「荷物の様に」

我が家は最終決定は夫に任せていた。

それは夫の冷静な判断がいつも正しいと信じていたから。

私は彼との人生でも、『荷物』の様に乗っかっていただけだった。

夫がハンドルを握っていれば、どんな道でも大丈夫と思えた。

 

私は

ずっと…

あの、過酷で孤独に泣いた闘病の道でさえ、実は夫のリアシートに乗っかっていたのではないか…

自分がなんとかしなければ…

彼を傷付けるモノから護らなければ…と必死だった時さえ、私は夫の背に護られ続けたのではないか…と…

 

そして今も…

私の前にはハンドルを握る夫が居るのではないか…

見えなくても、しがみつけなくても…

そう思ったら、ありがたくて泣けた…

 

いつも、眠る時、以前夢で見た、エレベーターで上がって、座席に座る夫の姿を毎晩脳内再生している。

私は手招きされて隣の席に着くけど、そのあとどんなショーを観るのだろう…ちょっと想像がつかないなと思っていた。

そうだな、きっとこの後バイクに乗って出掛けるんだ…

あの頃から変わらず、今も、この先も、夫の背中が目の前にはあるのだ。

そう思ったら、とても安心できた。

ずっと、荷物のまま行くよ…

君の運転なら心配はしない。

そして、その時が来たら改めて、バイクで迎えに来てくれるんだよね?

荷物は楽しみに待ってるよ。