荷物
夫はバイク乗りだった。
私は原付バイクで通勤していた事はあったが、大きいバイクの後ろに乗るのは初めてだった。
まして後ろに乗せたことなどない、最初はわからず、運転する夫にしがみついたが、どうやって乗るのが運転しやすいのか尋ねた。
「しがみついても、サイドバーやベルトを掴んでも、怖くない様に、安定する方法で。荷物になったつもりで、任せて乗っかってて欲しい。カーブでは運転者に合わせて体重移動して」
荷物になったつもりで…
大きなトラックの横をすり抜けたり、怖いと感じる場面では、変に体が反応しないように、運転に差し障らないように、私は目を瞑った。
夫の体重移動に息を合わせた、荷物になったつもりで。
1人の時にコケた事はあったが、私や息子を乗せて事故った事はなかった。
若年性認知症と診断されて、仕事では車を降りた。
バイクも諦めねばならないだろう…
まだALSの診断前だった、夫はいつもメンテナンスでお世話になっているバイクショップへ、オイル交換に行くと言う。
まだ、大丈夫と思いたい、でも…万が一…
私はバイクを回す夫に「もう、やめた方がいいんじゃない?」声を掛けた…
その時の眼差しが、初めて見る怒りの色をしていたのを忘れない…
何も言わす、バイクを道に出した所で、多分もうALSによる筋力低下が始まっていたのだろう、夫はバイクを倒してしまった。
どんなに悔しいだろう…悲しいだろう…
私は駆け寄り、それを起こすのを手伝った。
「疲れているから…」
夫は無言でバイクに跨がって出掛けた。
帰った夫は「バイク屋に言ってきた」と…
たしか、それ以来乗っていないと思う。
バイク屋にも、辞めた方がいいと言われたそうだ。
だんだん力が入らなくなって来る…
それはどんなに恐ろしかっただろう…
そんな思い出があったから、バイクは早々に件のショップに引き取ってもらってしまった、夫の最後の愛車なのにと、少し経ってから後悔した。
昨日、ふと、思い出したのだ。
「荷物の様に」
我が家は最終決定は夫に任せていた。
それは夫の冷静な判断がいつも正しいと信じていたから。
私は彼との人生でも、『荷物』の様に乗っかっていただけだった。
夫がハンドルを握っていれば、どんな道でも大丈夫と思えた。
私は
ずっと…
あの、過酷で孤独に泣いた闘病の道でさえ、実は夫のリアシートに乗っかっていたのではないか…
自分がなんとかしなければ…
彼を傷付けるモノから護らなければ…と必死だった時さえ、私は夫の背に護られ続けたのではないか…と…
そして今も…
私の前にはハンドルを握る夫が居るのではないか…
見えなくても、しがみつけなくても…
そう思ったら、ありがたくて泣けた…
いつも、眠る時、以前夢で見た、エレベーターで上がって、座席に座る夫の姿を毎晩脳内再生している。
私は手招きされて隣の席に着くけど、そのあとどんなショーを観るのだろう…ちょっと想像がつかないなと思っていた。
そうだな、きっとこの後バイクに乗って出掛けるんだ…
あの頃から変わらず、今も、この先も、夫の背中が目の前にはあるのだ。
そう思ったら、とても安心できた。
ずっと、荷物のまま行くよ…
君の運転なら心配はしない。
そして、その時が来たら改めて、バイクで迎えに来てくれるんだよね?
荷物は楽しみに待ってるよ。