グリーフの会でいろいろな人に会う。
Twitterでもたくさんの人と通り掛かる。
「最愛の人を亡くしました」
そう躊躇無く語る人達…
還りたい、戻りたい、幸せだったあの人との人生に…
私は何処まで遡れば、「還りたい日々」に辿り着けるだろうか…
先日のグリーフ会で進行役の人が喪失に付いて話した。
「お茶碗ひとつ割ってしまった、それも喪失」
そう言う見方をするなら、私は喪失し続ける人生だった。
3つ下の弟が5才で脳腫瘍、父の労災事故、下に生まれた弟の死…
ずっと寂しくて寂しくて、真っ暗な闇夜に真黒い大きな川を一人で泳いているような気持ち…
向こう岸があるのかすらわからない、けど泳ぎ続けるしかなくて、水を飲みながら泳ぎ続けて…
夫を見付けてしがみついた。
この人となら、夢見た暖かい家庭を作れるかも知れない!
還りたいのは…夫が結婚してくれた、あの時かな…?
私は実家から夫へ、依存先を変えたのだ。
そして、夫のエネルギーを吸い尽くして死なせた。
結婚しても実家(主に母)からの侵入、コントロールに疲弊して泣き、子を得てやっと己の不全さに気付き、泣きながら、血を吐く様に子と向き合った日々を夫と、友だけが認めてくれた。
子と夫を、揉める実家からの暴風から守りたかった、嵐の中で父は認知症を悪化させ、寂しがり屋の父を、母は手に余ると施設に入れた。
私は父と母も少しづつ喪失し、父は5年前に本当に喪った。
その後、友、夫もたて続けに旅立った。
がんばっても喪ってしまう…
夫はALSと確定診断される以前、半年程若年性認知症と診断されていた。
父の死後、母の事を気にかけてくれていた義母が脳梗塞で倒れた、その頃から仕事のミスが続き上司からの叱責され、心療内科受診を強く指導されての診断だった。
友の癌告知、余命宣告そして死、義母の入院に続く悪夢…
それでも…命に関わる病じゃない、会社も理解を示してサポートを約束してくれた…
若年性認知症には専門のサポートセンターがあり、取り乱した電話にも手厚く応えて、アドバイスやサポートを頼めた…
本人のショックは如何ばかりだったろうか…
家のローンもあと少し、定年までもう一息…
愛した仕事、職場への想い…
考えると涙がいくらでも出る…
私はどう夫を支えたら…支えられるのか?支えるのだ!
図書館で本を借り、ネットで当事者の情報を集め、一緒に戦おうと夫にも共有した。
ウンザリだったろうか…
「こんなに読めないよ…」と苦笑いしてたね…
ごめんね、ひどい事をしてたね…
その半年後、ALSと診断された。
若年性認知症だったら、今も…ここに居たのだろう…
出来ない事が増えて行き、私は不安に苛立ち、ヒドイ事をもっともっとしたり言ったりしただろうね…
苦悩する当事者家族の手記を何冊も読んだ…
それが私の未来だと、腹を括った、それが…
確定診断から4ヶ月で、終わってしまった。
いつからだろう、ずっと嵐が私の周りにだけ渦巻いて、ゴウゴウと風の音がしていた、風音はそこから来たペンネームだ。
タスケテ、タスケテ、タスケテ!
ずっと誰にも言えずに叫んでた。
よく覚えてない事も多い。
だから…
その地獄から、死別と言う別の地獄に落ちたけど、落差がそんなにはなかったのだな…
直前まで何の心配もなく、突然伴侶を喪った人は、その落差の大きさから傷が大きいのだな、きっと…
皮肉な事に、私は人生で今が一番平穏かも知れない…
夫の身体は喪って、鬱にはなったけど、コロナ禍のおかげもあって、誰とも関わらずに引き籠もって居られる。
グリーフは抱えて行く、必要な時はサポートも受けるけど、基本的にはセルフケアして、付き合って行きたい。
この先にまだ、どんな地獄があるのか…
怯えながら還る日を待ちたい。