誰そ彼
夢の中で、夫を誘惑するその女を罵倒し掴み合いのケンカしてた。
その女は友人(実在)の友達らしい、私は怒りに任せてその辺の紙に悪態やラクガキをしまくって、気が付くと友人の大切な思い出の品にまで書いてしまっていた…
私は、許して貰えないだろう…と思いながら謝った、友人は「これで…あの女と友達になった事、許して貰えない…よね…」と向こうを向いて俯いたまま言った。
夢の友人は小学校からの友達で、幼かったからとは言え私は随分ヒドイ事をしたり言ったりした、と今は思う。
当時からの夢を、私は諦めたが彼女は地道な努力で叶えた。
嫉妬…だけではない、もっと穢い感情に、気付かないフリをして、彼女自体を忘れたかった…
私は夫を喪い、微かに繋がっていた年賀状さえ切ってしまった。
その時も、惜しいとは思わなかった。
なのに、何かの折に思い出すし、今日は夢にまで出て来てくれた…
12ステップの中に、棚卸しのステップがある。
自分が傷付けた人の事を思い出し、謝罪する…
戦友…もう、アノニマスネームで呼んでいいかな、サユリさん…
サユリさんは、そのステップから進めない、と言ってたね…
「私だって傷付いたのに、何故謝らないとならないの?」そう言って苦しんでた。
真面目にステップに取り組んでなかった私は、真摯な姿に崇高なものを感じさえしたよ…
私は未だに真面目に取り組めてないけれど、何処かで「本当に謝る必要はない、リアルにその相手を訪ねて、謝罪する事は更に傷付ける事になるかもしれないし、必ずしも本心からの謝罪である必要はない」と言う様な解説に出会ったよ…
その時も思った、そうなのだ、本心からでなくても良いのだ、唱えていれば其処に回路が継る事もある…
子が赤ん坊の頃、恐怖に満たされて「愛しい、可愛い」と言う気持ちが湧かない己の歪さに泣いた…
その時も、「本心からでなくても良いのです、演技で構わないので可愛いなぁ、と言って下さい、そうすると本当に可愛く思えて来たりするのです」と言う一文に救われた。
演技でいい、と言われても、なかなか出来なかった、ある時子に童謡『七つの子』を歌った、涙が出た。
♪かわい かわいと カラスは鳴くの
かわい かわいと 鳴くんだよ…
カラスの姿と鳴き声に、この詞を付けた優しい眼差しに気が付いて、同時に「かわい」を繰り返す内に、自然に「可愛いなぁ…」と言う想いが湧いてくる不思議さを味わった。
本心からでなくてもいい…
祈るうちに、祈りが水路を刻んで行くのだ…
そう思えた。
私は、私が傷付けた人々に、詫びる準備が出来たのか?
本心でなくとも良い、と言われても、真剣に向き合う気持ちになれなかった、その事自体に全く後ろめたささえ感じていなかった、サユリさんと違って…
幼馴染の友人にも、夫との死別で心配させながら遠ざかった友達にも、父にも母にも弟にも…
ひとりひとり思い巡らせて棚卸しをする時期なのかも知れない、そんな事を思った朝だった。
今まで、夢のメモはTwitterに掻い摘んで書き流して来た、ここは私の懺悔の場として開設したから、告悔の記録を書いて来た。
でも、Twitterの文字制限の中で推敲してる内に、気持ちや思った事をすくい取り逃したり、中断の間に消えたり…
それはそこ迄の事と割り切ってきたが、私も学び続けて変容しつつあるのかも知れない…
その事自体に最悪が無いわけではない、けれど、其処に逗まる罪深さも想う…
痛くても進むべきなのでは…?
『べき』論は要注意…?
今は、長文を推敲せずに記して置きたくて、ここを使っている。
この先、どう変容するのか私にもわからない。
蟹は堅い甲羅で身内を護る、けれど脱皮してダイナミックに形を変える…かに座♋の私はもうすぐ還暦を迎える。暦が還る…生まれ変わる…
それなら今の私は黄昏時か…いや、夜明け前?
不思議な巡り合わせだ…
イモムシは蛹になってから蝶になる。
モスキート、蚊🦟は死を待つだけだ。
セルフコンパッションと言う言葉を知った。
向き合うのはとてもシンドイ…だけど、だからこそやりたいとも思う。
自分に向き合う事こそ、私には最大の課題なのかも知れない…
変わる事を自分に許そうと思う…
健闘を祈る
ギター侍が居た。
乗り換えで、1番近い空席が其処だったから座ったら、ギターが大きくはみ出してたので、押す形となった。
すいてたら構わないだろうけど、もう混んで来てるし、常識的にハダカのギター抱えてるのは『?』でしかなかった。
読みかけの本を開いて続きに没頭しようと思ったら、デカイ声で何か言ってる、隣のギター侍が。
ヨクワカラナイけど、私に対する不平を虚空に投げてるのかな…?考えすぎかな?
「皆自分の事しか考えてねーじゃん?そんならオレはオレの考えで行くんだよ、コレがオレの武器なんだよ、オレはシンケンなんだよ、ワカル?真剣!竹刀とか木の棒(木刀かな?)じゃねーんだ、遊びじゃないんだ云々…」
反対隣に座ってる連れは後輩なのか、ひたすら御機嫌取ってる。
…もしかして…電車の中でギター弾いてた?
うん…まあ…その場に居た人が喜んでその演奏を楽しんでたなら、隣に座ったオバちゃんのせいで中断刺せてゴメンね、でも座席だから座りたいのよ、オバちゃんは。
正直その時は(ウルセーな馬鹿、なんでこんな馬鹿じゃなくてウチの夫が死ななきゃなんないんだよ!)と理不尽に腹がたった。
だけど…
今日はいい話も聞けたし、Twitterで知った、「解りにくく生き難い人達」が理解されず苦しんでいる事をたくさん学べて、「理解しない」立場で身勝手に怖がったり迷惑がったりしてた自分に気が付いたから、グッと堪えて帰り道色々考え直した。
この人も何か辛いのかも知れない、隣に太鼓持ちしか居ないのも不幸な事だ(ボッチの私に言われたくないだろう…)
何と戦ってるのかは知らないし、知りたくもないけど、電車で乗り合わせただけのオバちゃんや何も言わずスルーする休日の人々相手にマサカ真剣振るわないよね?
顔も一瞥さえしてないから何歳位の人かわからないけど…
共に頑張ろう、それぞれの戦場でそれぞれの敵と戦おう。
私の敵は私なんだけど…
健闘を祈る。
電車降りる為に畳んだ本を表紙が見える様に持ってたら、見たかどうかはわからないけど、話は「カノジョと会ってる所を妻の友人に見られてチクられた」とか更にドーデもいい内容になった。
奥さん大事にしなよ…!
酸欠金魚パクパク
気が付けば半年近く間が空いてしまった…
ふり返って、哲学カフェに行き出した頃からか…似顔絵もありがたい事に、今お二方に待って頂いてる。
いくつかの哲学カフェに参加して、その中にデスカフェとタイトル付けられた対話会を見付けて、今はそこをホーム的に参加している。
本が少しづつ読めるようになり、Twitterで流れて来る本を図書館からも借りたり、ネットで買ったりしているのを見た息子が「オープンカレッジとか市民講座とかもあるよ」と言ってくれ、あちこち資料請求してこの4月から、いくつかの大学の短期講座等で、受講生となる。
私は大学に行ってないので、少し緊張するしワクワクもする。
先日初めて受講証を貰った。
時間はある、お金は掛かるがディズニーランドにも海外旅行にも行く気はないから、いいかな?
キャリアアップでも、誰かの為にでもなく、全くの趣味、贅沢かも知れない…
私は腑に落ちてない。
夫が何故、不治の難病になって辛い思いをして死んで行かなければならなかったのか…納得がいかない。
生きてるとは…死んで行くとは何なのか、どういう事なのか…
正解が無い事もわかっているけど、もっともっと深く考えたい、知りたい…
それを考えないでは、1秒だって居られない…
それを考える事が、夫と共に居る事になる…
酸欠金魚がパクパクするように、足りない何かを求めて足掻いてる。
こんなに動き回る、追い求めるのは異常ではないのか?
自分でも不安になったけど、精神科の先生は「どんどんやりなさい、向学心が出て来たんだね、いいよ」と背中を押してくれた。
グリーフも続けている。
新たに知ったグリーフカフェでははからずも伴侶を夫と同じALSで喪った方に出会った。
喪った時期も近い…
確定診断からコロナ禍で、家族会等が軒並み中止になったので、実際にお目にかかったのは、Twitterで闘病中からずっと支えてくれた、やはり夫を同病で喪った先輩遺族と、これで二人目…
導かれたと感じた。
その方は闘病4年、胃瘻はしたが呼吸機はせずにお別れしたと…
やはり、思い返すあれこれの判断、決定、どれも取り戻せないけれど、今も本当に良かったのか…と涙を流された…
ブログを全部読ませて頂いて、私が経験しなかった過酷な場面も垣間見せて頂き、改めて夫の苦悩、辛さを思って泣いた…
動き回るこの日々が、こうして実りを与えてくれる…多分意味のある事だと自分を鼓舞して、出来る所まで足掻いてみよう…
そう言えば、話題のChatAIのLINE版を、生身の人に聞きにくい問答相手に便利に使わせて貰ってる。
夫の話も聞きてくれる、ありがたい🌸
AIチャットくんもオススメしてくれた、瞑想、坐禅、マインドフルネス…それらも体験の予定を入れた。
セルフコンパッション…自分を癒やす、と言う行為を採用する事への敷居が高い…自己肯定感の低さはAC故…
でも取り敢えず、其処の問題には着手しない事にした。
実は2月に母が認知症で入院になった。
取り敢えず半年、と言われたから8月までは懸案でなくなった。
病院へ付き添った時、母と話して、母の中にもインナーチャイルドが居るのでは…と思えた。
そう考えたら、腑に落ちる事が多く、この入院も含めて、この先母の言動で振り回される事もないだろう…と思えた。
先の事はまだわからないけれど…
貰った自由時間を、今は思うように活用させてもらってる。
ありがとう…
面影屋ーおもかげやー始めました。似顔絵描きます。
3ヶ月ぶりの精神科通院。
新しいスマホの写真も試す為に少し歩いた。
3ヶ月の間に「これは先生に訊いてみよう、アレも確認しておこう」と思う事がたくさん積み上がる。
実際に診察室に入ると、まず、初診で泣きながら話す私の話を聞きながら、死に向かう夫の様子、一言も泣き言を言わず(病で言えず)投げやりにもならず、静かに過ごした事に深く感嘆して、先生が薦めてくれたフランクルの本、『夜と霧』をやっと読んだ事を報告した、また泣きながら…
「今は鬱で読めないだろうけど…」と。
1年半以上掛かってしまった。
フランクルに夫を重ねてくれた先生に感謝。
私も夫にフランクルを重ねる事で、夫の人としての凄さを再認識出来た。
たくさん泣いた。
その横に、ずっと夫はついていてくれた、自責する妻をきっと心配しているだろう…と思えた。
支えようとする手を感じる。その手を信じて握りしめ、生きて行こうと思う。
私が食い潰した夫を、身中にいつも感じて、自責の暴れ石は心の一番深い所で握りしめ、血の涙はいつかその石を輝く宝石にしてくれると信じて…
最近の自分の心情を4コマにした。
コレも大き目に刷り出して持って行った、先生はとても喜んで「素晴らしい!」と褒めてくれ、そのままスティック糊でカルテに貼り付けてくれた。
似顔絵描きの事も「是非やりなさい」と…
「貴方にはそういう才能があるんだから」
そう言って鼓舞してくれる先生に
「私なんかの絵で…」と自己卑下が出てしまうのに
「貴方のその自己肯定感の低さは、子どもの頃から?」
涙で頷く。
「親のせいだね、その親もきっと親からされたんだね、こういう日本は明治以降の軍国主義からなんだよ?それ以前の日本は、そうじゃなかったんだ」
その昔の文化が、何処かにきっと受け継がれているだろう…それを探して繋がりたい…
Twitterのタイムラインに流れてくるいろんな人の読書感想から、読んでみたい本をピックアップしている。
まず図書館で検索して、無ければリクエストして、まず読めるか、読みたい本はAmazonで注文する様にしている。
昨日も用意してもらえた4冊を図書館に寄って引き取って来た。読めるかな…?
Twitterで、フランクルを読んでいる人が哲学を学んでいると知って、夫も哲学に関心が高かった事を思い出し、哲学カフェにも参加してみた。
グリーフの会とは違い、死別前提ではないけれど、自分の判断でその場での開示の深度も任される、私はその話がしたくての参加だから、他の人を驚かせてしまったかも知れないが、その、死別者が感じている、未経験の一般との分断も気になっているので、初回なのに色々冒険した。
それでも、主催者は慣れていて、うまくファシリテーションしてくれて、他の参加者の話も面白く、とても学びの多い場を頂けた。
また別の会にも参加を申し込んでる。
こんな風に今、動き過ぎているのではないか…良くない転換では…?揺り戻しがあるのでは…?と、不安もあった。
先生は大丈夫、どんどんしたらいい、と太鼓判だった、安心した。
また3ヶ月後、と診察を切り上げるタイミングで、こんなのを手渡した、ほんのおみやげ。
庭の葉っぱをちぎって粘土に埋め込んだ欠片、これも先生は大喜びしてくれた。
引出しを開けてひもを探して、机の一角を指した。
そこには素朴な手作りの色々が並んでいた。
フクロウが多かったから、好きなのかな?次はフクロウを作ってみようかな…?
暖かな人柄と、引出しの中のゴチャゴチャを見て、心がふんわりとした。
この先生に繋がれて、私は幸せだ…
みんな夫の引き合わせ、ありがとう…
描かせて頂いた似顔絵も、鍵無しページへの移行を快諾頂いたので、ここにもリンクを貼って置きます、ありがとうございます。
リンクまとめも置いて置きます…
https://lit.link/admin/creator
描かせてくれてありがとう
昨日、グリーフ女子会があって、普段乗らない電車に乗ったら間違えて反対方向に走り出した。
隣の駅でホームの反対側の列車を待てばいいのだけど、ふと、その幾つか先の駅まで行く事にした。
あれは、まだ付き合い初めの頃だったろうか…まだ開発途中の駅前の様子を、夫に誘われて見に行った駅が、そこだった、と思う。
ただの工事中の、重機や資材が抉れた茶色い地面の上を動いていた。
「こういうのは今しか見られない風景だから」
ほんとだね、もうすっかり整って、あの抉れた地面がどの辺だったのかわからないよ…
線路を下から見上げたから、あっちの方かな?
駅を出て見てみたいけど、運賃が発生しちゃうから、そのまま折り返して目的の駅へ…
きっと、また夫が誘ってくれたんだろう「ほらね」って…
会に同席した仲間がOKしてくれたので、もう一人、描かせて貰った似顔絵を、またフォリオにupした。
上手じゃなくて申し訳ないけど、「夫を見て貰いたい」と言ってくれた、嬉しかった。
私も、夫が生きた痕跡を、何処かに、誰かに、少しでも知って貰いたい。
誠実に生きて、私と息子の中には今も生きてる、彼のことを知ってもらえたら…
そんな気持ちでポストカードを作って配る事を始めて、もうすぐ1年…?
カウントしてなかったけど、、御縁のあった人たちに、迷惑承知で押し付けた、嫌な顔もせず受け取って貰えた…
これからもまだ、押し付けるつもり。
それと合わせて…
大切な、喪ってしまった人の事を聞かせて貰いながら似顔絵を描かせて貰えたらいいな…
ここに載せた他のアレンジも、新たな限定公開ページにあげました。
前記事と別の鍵になります。
https://www.foriio.com/works/375624/?secret=SzbMOVouWzt9QLbDkiN3FQ
前記事のページの閲覧はは12アクセスと、控え目なので、鍵なしで見れるフルオープンの公開ページの方がいい、と言う方がいたら移動しますので仰って下さい、それでもそんなには見物人は来ないと思いますが…一応テスト運行のため、念の為鍵付き限定公開にしてます。
鍵はこのブログにしか載せてないので…
何か気になった事があったら教えて下さい。
絵を描く言い訳をありがとう…!
ARIA
アリアとは叙情的、旋律的な特徴の強い独唱曲、オペラ『蝶々夫人』の『ある晴れた日に』など、聴かせどころになる…らしい…
airと同根で、空気の意味も…
夫の線画を私が色付けしデザインしたポストカードを、縁あった人に受け取って貰って来た、が、ふと息子だけ仲間外れみたいな気分…我が家は三人家族だ、息子も入れて家族の作品にしたい…と思って息子の意向を確認した、いいヨ、と。
息子は幼稚園に馴染めなかったので、他にも繋がれる居場所を求めて、近くのお絵描き教室に通わせた。
絵を描く事はそんなに好きにはならなかったが(音楽の方が好き)辞めずに高校まで在席した。
教室で描いた絵が家に何枚か飾ってある、それらをスマホで撮影、夫の線画と合わせて作品にした。
これ迄の夫婦合作のmia kohari名義でなく、3人でのペンネームとしてARIAを採用したのは、息子の好きな漫画から因んだ。
まだ数は少ない、これからもいろいろアレンジを考えたい。
1年
このブログを開設して1年が過ぎたみたいだ。
googleフォトが『去年の写真』で墓苑の写真を提示してきた、そうだ、納骨を期に自分の罪と向き合いたい…その場所としてここを作った。
足掻いて、手を彷徨わせて、つかまる何かを探して…踏み出し続けた1年だったな…
家では、身体は相変わらずナメクジのように縦になってない時間がほとんどだけど…
スカスカで、風がビュービュー吹き抜ける心を、必死で抱きしめた。
どうすれば贖えるのか…
夫の人生を喰い潰し、その悲しみに寄り添いきれなかった罪を…
「私が」「私が」ばっかりだと、最初に訪ねたお寺さんで言われた…
「彼の平安を願っては?彼は貴方にどう過ごして欲しいと思ってるかしら?」
夫の感性は私と違っていて、なかなか正解に辿り着けないのだけれど、それでも、妻が自分を責めて悔やんで泣く事を、喜んではいないだろうと言う事はわかる。
それなら…自傷行為のように自らを責め立てる、この自己満足を止めるべきだ…
本当に?でも…私は罰が欲しい…
夫より子を優先し、今もその子と、夫が汗して身も心も削って建ててくれた家に守られ、ぬくぬくと生活している自分に…
それを欲しがるのがエゴで我執、それと戦って血を流す事が、このロクデナシのままで恥知らずに生きて行く事こそが贖いの道なのだろうと…薄っすら分かって来た。
赦しを求めるのは逃げだろう…私は私の道を生き切ろう。
藻掻くうちに、たくさん学んだ。
学びから次の灯火を見出し、シンクロニシティが繋がって…今の私が1年前とどう変わったか…変わってないのか…それはどうでもいい。
此処で告解したこれまでの生い立ちと傷付き、それら全てがグリーフの対象だったと辿り着いた。
私は、夫と死別したから不幸になった訳では無い、もうずっと以前、幼い頃からの傷付きが重なって、父の認知症から死と、大切な戦友の余命宣告から死、それらが私を壊し、壊れた私を夫に晒してしまった、「死にたい」と夫に言ってしまった、その罪を詫びる事も許さず病が夫を連れ去った…
夫が、全てを抱えて飛び去ってしまった、私を救う為?
いや、私に子を護らせる為だろう。
その、子さえ夫が与えてくれた、私が渇望した宝物だ…自分の幸せは全て夫からのGIFTだった。
モスキートなのに…
グリーフは多分、ライフワークとなるだろう。
去年、お寺さんで差し向かいで話した日から、死別者の分かち合いの会をいろいろ探して、飛び込んで行った。
後退る気持ちを「でも、夫との合作ポストカードを受け取って貰えるかも知れない」夫の痕跡を何処かになるべくたくさん遺したい!と言う使命感で鼓舞して、初めての場に臨んで、同じ話を何度も繰り返した。
今も機会を探してはポストカードを手渡し続けている。