Mosquitoes regret

喪失と自責の記

幼な子

唐突にわかった事がある。

 

病に伏した夫の枕元で、私は本当は「行っては嫌だ、私はどうすればいいの?」と泣きぐずりたかったのだ、と。

f:id:kazanea:20231203074101j:image

実際にはそんな駄々捏ねをして、これ以上夫を追い詰めるなんて出来なかった。

精一杯の演技。

「大丈夫、なんて事ない」そのように振る舞う事が、こんなにも辛い現実の中にいる夫を支える事だと思ってた。

いや、それ以前に私には悲しむ資格がないと思った。

夫の生きるエネルギーを削ぎ、病にしたのは、「死にたい」と繰り返した私だから。

自分の悲しさ寂しさは当然の報いで、夫の、己の人生を喪う無念さの前では取るに足りない、傷でさえないと思った。

感じないようにした。

罪人である自分を許せない…罰したい…

自分を突き刺し続けるうちに、奥底で泣いている自分を見つけた。

震える小さな子どもの私。

幼すぎる、それも罪…

f:id:kazanea:20231203074222j:image

居ないと思った、居てはいけないと押し殺した、夫に依存した幼すぎる自分…

この子が泣くことを許す事が、自分を愛する事になるのだろうか?

そうする事で、悲しみを悲しむ事が出来るのか?

 

「置いて行かないで」と震えて泣く私の頭を、いつものようにポンポンと撫でている夫のイメージが浮かんだ。

出来なかったけど…そうしてはダメだと思ったけど、そうすれば良かったのだろうか…?

それでも薄っぺらい演技など見透かされていて、あの時も、あの時も、本当は夫は私の頭を撫でていたのだろうか…

迷子になる妻がわかっていて、心配して、道標を立てただろうか…それを私は正しく見つけられるだろうか、この先も…

どうかさいごまで、手を取って導いてね?

さいごに言いたそうにして、言葉にならずに息を引き取ったその言葉、私がすくい取れなかったあの時の言葉は、私がそっちに行く時、ちゃんと教えてね。

「忘れちゃったよ」いつものように笑うのかな…?

 

f:id:kazanea:20231203074353j:image

RE:BORN 又はUPDATE


f:id:kazanea:20231112094353j:image

夫の、いわゆる死で、私も死んだのだ…と思った。

でも違った…

あの瞬間、世界が滅亡したのだ。私を含めて。

私は夫の出先機関、デバイスとして、新たに生まれた世界に生まれ変わった…言わばバージョンアップされて。

生まれたてだから上手く歩けなくても仕方ない。


f:id:kazanea:20231112094544j:image

私は夫の、この世でのインターフェイス

情報を取り込む窓口、ならば粗雑に扱ってはいけないのだ。

私が余りにも自分を大切に出来ないから、夫は向こう側に回って、内側に回路を作って、私に「自分を愛する、大切にする」をさせようとしてくれてる…

そうであれば、私の課題「自分を愛し大切にする」に、後ろめたさを抱えずに向き合えるだろう?と言う夫の声を内側に聞く。

 

皆都合の良い作り話。

ナラティブと言うやつか…

それでいい、私が生きる理由はそれで十分だ。

時折、自らを突き刺して血を流す、それは私の嗜癖だから、快楽だから、そこも含めて愛せばいい。


f:id:kazanea:20231112094656j:image

生まれ変わっていたのだ、まだ3才だ…

それ以前はもはや前世…

その日々の中に、幸せも悲しみもあった、だけどそれは無くならない、バージョンアップだから。

記録はクラウドの中に全部在る。

 

私と言うデバイスの能力は上がっているはず…

夫と言うOSに、今までにない位直接繋がったったのだから…


f:id:kazanea:20231112094938j:image

 

それぞれの悲嘆

伴侶を喪っての哀しみにもいろいろあるな…

amazonのカゴに入れて「今回は買わない」と出した物を削除してなかった物を手繰って、夫の闘病にアレコレ悩んで入れたり出したりした高カロリーゼリーやとろみ剤、スプーン等などを引き出して、あの頃の自分に再会すると、今は穏やかだな…と、その頃の私と夫に静かに寄り添い、涙を流す。

 

夫の病は進行するだけで治らない。

「生きてさえいてくれれば…」と言う時は自分のエゴと真正面に向き合う事、私には「大丈夫!それでも君を悲しませない!」と言う覚悟が、自信がなかった。

胃瘻をしない…と言う選択を本人にさせてしまった。

それは遠くない先で去る…と言う選択…

もう取り返せない、あの時私にもっといい手があったのか、私こそが夫が去る事を望んだのではないのか…

私の為に…

私は、今現在の伴侶が居ない現実、支え手としての夫を喪った哀しみは許容範囲なのだ。

むしろもっと苦しむべきだとも思う。

それよりもあの頃の…あの時に繋がった全ての過去に、私の不徳が影を挿してると言う思いがのしかかるのだ。

 

私は哀しみも苦しみも手放したくはない。

夫を死なせて罰せられない…と言う罰を受けてる。

だからチャンスを見付けて自分を罰したい、突き刺して痛め付けたい…

そう言う自分は歪で、夫は望んでないと知ってる…

 

今、行ってるお寺さんのグリーフでは

「それでいい」

と言ってくれる。

いびつに歪む自傷でもいい、だから自分をダメだと思わないで、と。

それは想いがあるからだ…と。

 

私は赦されたかったのだな…

自分を許せない異形の自分を…

 

別のグリーフで他の参加者が大きく頷いてた「電球💡替えるのも、買物でロールペーパー持つのも自分なのが辛い…」と言うエピソードには共感出来なかった、羨ましいな…と思うけど、そんな事してくれなくても私は夫を大切に思ってる。今も。

夫を想う気持ちと、自分を許せない気持ちの2本立てグリーフなのだ。

混ぜたり片方無くしたりしなくて良い…と言われて心底ホッとしてるのだ。

そしてそんな事は

「それでいい」

なんて事は、どんな資格を持ってる心理士やカウンセラーにも言えない。言われても鼻白む…

後ろ盾に長い歴史のある仏様が居る、それを信仰してる人にしか言えないだろうと思う。

と言って、信徒でもないし、寄附もしない、ただの民草ですが…

 

 

反出生主義



f:id:kazanea:20230519114458j:image

その言葉は最近Twitterで知った。

この世は地獄。

「生まれて来ない方が良かった」

「だから産まない」


f:id:kazanea:20230519114322j:image

そう言う思想があるとは知らなかった10代の頃、私は親に

「親には産むか産まないか選択肢がある。子どもにはないじゃないか」

と言った事がある。

何か口喧嘩していて、親がそう言う言葉を私から引き出した、と思っている。

その頃はまだ「生まれて来たくなかった」とまで深く考えてはいなかったと思う。

ただ、子どもは生まれて来たくて産まれた訳じゃないのに、ガッカリされても困る…

(私だって選べるなら親は選びたい、とまでは言えなかった)

親は子を選べる…とは、人工中絶の事だ。

いろんな事情で産まない選択肢がある事を否定しない。

親がそれをしたかどうかも確認なんてしていない。選択肢がある、と言う事実だけ。

もしかしたら「今は産まないでおこう…」とされた子が、私でなかった、と言うだけの事だ。

 

言った時、思いがけず親が動揺して悲しそうな顔をしたのが意外だった。

「ひどい事を言ってしまった!」と言う後悔はなかった。

事実じゃないか、何を驚いてるんだ?

後日、幼馴染にこの話をした時、

「そんなひどい事、本当に言ったの?」と絶望的な眼差しで非難された。

その時も何がひどいのか合点がいかなかった。


f:id:kazanea:20230519114550j:image

子育て初期に落ちた穴は

「こんなひどい世界に産んでしまってごめんなさい…」

だったのだのかも知れない…

「こんな私が母でごめんなさい…」

ずっと…今も謝っている。

 

高校の同級生が

「こんなひどい世界に子どもなんて可哀想で産めない」と言っていた。

私はただ自分の欠落を埋めたくて、リベンジしたくて、暖かい家庭を持ちたかった、その為に子どもは必須だった。

 

私は鈍感なのだ…

もう全てが過ぎ去ってから、ああ、そう言う事か…と振り返る事がたくさんある…

 

私が母として一番恐ろしかった事は、子が

「生まれて来なければ良かった」と思う事…

それを回避する事が、親としての使命だと思った。

けれど、自分はどうなのか…

夫を喪って、いろんな事がどうでも良くはなったけど、死ぬ事で逃れたいと思う程の不幸には見舞われてない、それはラッキーだったのだろうと思う。

 

私はどうして子に

「生まれたくなかった」と言われたくないのだろうか…

この世に産み出した責任からだろうか?

そう言う時の本人の辛さを思うと胸が痛い…

私は、色々あったけど、夫と息子と家族に成れて、夢が叶った。

もう、これ以上望むものはない。

夫の人生を私の養分にしてしまった罪も含めて、この先も抱きしめて行く、辛くてもそれが「人生にイエスと言う」事なのかな…

 

誰そ彼

夢の中で、夫を誘惑するその女を罵倒し掴み合いのケンカしてた。

その女は友人(実在)の友達らしい、私は怒りに任せてその辺の紙に悪態やラクガキをしまくって、気が付くと友人の大切な思い出の品にまで書いてしまっていた…

私は、許して貰えないだろう…と思いながら謝った、友人は「これで…あの女と友達になった事、許して貰えない…よね…」と向こうを向いて俯いたまま言った。


f:id:kazanea:20230423081050j:image

夢の友人は小学校からの友達で、幼かったからとは言え私は随分ヒドイ事をしたり言ったりした、と今は思う。

当時からの夢を、私は諦めたが彼女は地道な努力で叶えた。

嫉妬…だけではない、もっと穢い感情に、気付かないフリをして、彼女自体を忘れたかった…

私は夫を喪い、微かに繋がっていた年賀状さえ切ってしまった。

その時も、惜しいとは思わなかった。

なのに、何かの折に思い出すし、今日は夢にまで出て来てくれた…

 

12ステップの中に、棚卸しのステップがある。

自分が傷付けた人の事を思い出し、謝罪する…

戦友…もう、アノニマスネームで呼んでいいかな、サユリさん…

サユリさんは、そのステップから進めない、と言ってたね…

「私だって傷付いたのに、何故謝らないとならないの?」そう言って苦しんでた。

真面目にステップに取り組んでなかった私は、真摯な姿に崇高なものを感じさえしたよ…

私は未だに真面目に取り組めてないけれど、何処かで「本当に謝る必要はない、リアルにその相手を訪ねて、謝罪する事は更に傷付ける事になるかもしれないし、必ずしも本心からの謝罪である必要はない」と言う様な解説に出会ったよ…

その時も思った、そうなのだ、本心からでなくても良いのだ、唱えていれば其処に回路が継る事もある…

子が赤ん坊の頃、恐怖に満たされて「愛しい、可愛い」と言う気持ちが湧かない己の歪さに泣いた…

その時も、「本心からでなくても良いのです、演技で構わないので可愛いなぁ、と言って下さい、そうすると本当に可愛く思えて来たりするのです」と言う一文に救われた。

演技でいい、と言われても、なかなか出来なかった、ある時子に童謡『七つの子』を歌った、涙が出た。

♪かわい かわいと カラスは鳴くの

かわい かわいと 鳴くんだよ…

カラスの姿と鳴き声に、この詞を付けた優しい眼差しに気が付いて、同時に「かわい」を繰り返す内に、自然に「可愛いなぁ…」と言う想いが湧いてくる不思議さを味わった。

 

本心からでなくてもいい…

祈るうちに、祈りが水路を刻んで行くのだ…

そう思えた。

 

私は、私が傷付けた人々に、詫びる準備が出来たのか?

本心でなくとも良い、と言われても、真剣に向き合う気持ちになれなかった、その事自体に全く後ろめたささえ感じていなかった、サユリさんと違って…

 

幼馴染の友人にも、夫との死別で心配させながら遠ざかった友達にも、父にも母にも弟にも…

ひとりひとり思い巡らせて棚卸しをする時期なのかも知れない、そんな事を思った朝だった。

 

今まで、夢のメモはTwitterに掻い摘んで書き流して来た、ここは私の懺悔の場として開設したから、告悔の記録を書いて来た。

でも、Twitterの文字制限の中で推敲してる内に、気持ちや思った事をすくい取り逃したり、中断の間に消えたり…

それはそこ迄の事と割り切ってきたが、私も学び続けて変容しつつあるのかも知れない…

その事自体に最悪が無いわけではない、けれど、其処に逗まる罪深さも想う…

痛くても進むべきなのでは…?

『べき』論は要注意…?

今は、長文を推敲せずに記して置きたくて、ここを使っている。

この先、どう変容するのか私にもわからない。

 

蟹は堅い甲羅で身内を護る、けれど脱皮してダイナミックに形を変える…かに座♋の私はもうすぐ還暦を迎える。暦が還る…生まれ変わる…

それなら今の私は黄昏時か…いや、夜明け前?

 

不思議な巡り合わせだ…

 

イモムシは蛹になってから蝶になる。

モスキート、蚊🦟は死を待つだけだ。


f:id:kazanea:20230423084046j:image

セルフコンパッションと言う言葉を知った。

向き合うのはとてもシンドイ…だけど、だからこそやりたいとも思う。

自分に向き合う事こそ、私には最大の課題なのかも知れない…

 

変わる事を自分に許そうと思う…

酸欠金魚パクパク

気が付けば半年近く間が空いてしまった…

ふり返って、哲学カフェに行き出した頃からか…似顔絵もありがたい事に、今お二方に待って頂いてる。


f:id:kazanea:20230411141800j:image

いくつかの哲学カフェに参加して、その中にデスカフェとタイトル付けられた対話会を見付けて、今はそこをホーム的に参加している。

本が少しづつ読めるようになり、Twitterで流れて来る本を図書館からも借りたり、ネットで買ったりしているのを見た息子が「オープンカレッジとか市民講座とかもあるよ」と言ってくれ、あちこち資料請求してこの4月から、いくつかの大学の短期講座等で、受講生となる。

私は大学に行ってないので、少し緊張するしワクワクもする。

先日初めて受講証を貰った。


f:id:kazanea:20230411133437j:image

時間はある、お金は掛かるがディズニーランドにも海外旅行にも行く気はないから、いいかな?

キャリアアップでも、誰かの為にでもなく、全くの趣味、贅沢かも知れない…

 

私は腑に落ちてない。

夫が何故、不治の難病になって辛い思いをして死んで行かなければならなかったのか…納得がいかない。

生きてるとは…死んで行くとは何なのか、どういう事なのか…

正解が無い事もわかっているけど、もっともっと深く考えたい、知りたい…

それを考えないでは、1秒だって居られない…

それを考える事が、夫と共に居る事になる…

酸欠金魚がパクパクするように、足りない何かを求めて足掻いてる。

こんなに動き回る、追い求めるのは異常ではないのか?

自分でも不安になったけど、精神科の先生は「どんどんやりなさい、向学心が出て来たんだね、いいよ」と背中を押してくれた。

 

グリーフも続けている。

新たに知ったグリーフカフェでははからずも伴侶を夫と同じALSで喪った方に出会った。

喪った時期も近い…

確定診断からコロナ禍で、家族会等が軒並み中止になったので、実際にお目にかかったのは、Twitterで闘病中からずっと支えてくれた、やはり夫を同病で喪った先輩遺族と、これで二人目…

導かれたと感じた。

その方は闘病4年、胃瘻はしたが呼吸機はせずにお別れしたと…

やはり、思い返すあれこれの判断、決定、どれも取り戻せないけれど、今も本当に良かったのか…と涙を流された…

ブログを全部読ませて頂いて、私が経験しなかった過酷な場面も垣間見せて頂き、改めて夫の苦悩、辛さを思って泣いた…

 

動き回るこの日々が、こうして実りを与えてくれる…多分意味のある事だと自分を鼓舞して、出来る所まで足掻いてみよう…

 

そう言えば、話題のChatAIのLINE版を、生身の人に聞きにくい問答相手に便利に使わせて貰ってる。


f:id:kazanea:20230411140439j:image


f:id:kazanea:20230411141558j:image

夫の話も聞きてくれる、ありがたい🌸

 

AIチャットくんもオススメしてくれた、瞑想、坐禅、マインドフルネス…それらも体験の予定を入れた。

セルフコンパッション…自分を癒やす、と言う行為を採用する事への敷居が高い…自己肯定感の低さはAC故…

でも取り敢えず、其処の問題には着手しない事にした。

実は2月に母が認知症で入院になった。

取り敢えず半年、と言われたから8月までは懸案でなくなった。

病院へ付き添った時、母と話して、母の中にもインナーチャイルドが居るのでは…と思えた。

そう考えたら、腑に落ちる事が多く、この入院も含めて、この先母の言動で振り回される事もないだろう…と思えた。

先の事はまだわからないけれど…

貰った自由時間を、今は思うように活用させてもらってる。

ありがとう…


f:id:kazanea:20230411143242j:image

 

 

面影屋ーおもかげやー始めました。似顔絵描きます。


f:id:kazanea:20221112084540j:image

 

3ヶ月ぶりの精神科通院。

新しいスマホの写真も試す為に少し歩いた。


f:id:kazanea:20221112073649j:image

3ヶ月の間に「これは先生に訊いてみよう、アレも確認しておこう」と思う事がたくさん積み上がる。

実際に診察室に入ると、まず、初診で泣きながら話す私の話を聞きながら、死に向かう夫の様子、一言も泣き言を言わず(病で言えず)投げやりにもならず、静かに過ごした事に深く感嘆して、先生が薦めてくれたフランクルの本、『夜と霧』をやっと読んだ事を報告した、また泣きながら…

 

「今は鬱で読めないだろうけど…」と。

1年半以上掛かってしまった。

フランクルに夫を重ねてくれた先生に感謝。

私も夫にフランクルを重ねる事で、夫の人としての凄さを再認識出来た。

たくさん泣いた。

その横に、ずっと夫はついていてくれた、自責する妻をきっと心配しているだろう…と思えた。

支えようとする手を感じる。その手を信じて握りしめ、生きて行こうと思う。

 

私が食い潰した夫を、身中にいつも感じて、自責の暴れ石は心の一番深い所で握りしめ、血の涙はいつかその石を輝く宝石にしてくれると信じて…

 

最近の自分の心情を4コマにした。


f:id:kazanea:20221112075915j:image

コレも大き目に刷り出して持って行った、先生はとても喜んで「素晴らしい!」と褒めてくれ、そのままスティック糊でカルテに貼り付けてくれた。

似顔絵描きの事も「是非やりなさい」と…

「貴方にはそういう才能があるんだから」

そう言って鼓舞してくれる先生に

「私なんかの絵で…」と自己卑下が出てしまうのに

「貴方のその自己肯定感の低さは、子どもの頃から?」

涙で頷く。

「親のせいだね、その親もきっと親からされたんだね、こういう日本は明治以降の軍国主義からなんだよ?それ以前の日本は、そうじゃなかったんだ」

その昔の文化が、何処かにきっと受け継がれているだろう…それを探して繋がりたい…

 

Twitterのタイムラインに流れてくるいろんな人の読書感想から、読んでみたい本をピックアップしている。

まず図書館で検索して、無ければリクエストして、まず読めるか、読みたい本はAmazonで注文する様にしている。

昨日も用意してもらえた4冊を図書館に寄って引き取って来た。読めるかな…?


f:id:kazanea:20221112081520j:image

Twitterで、フランクルを読んでいる人が哲学を学んでいると知って、夫も哲学に関心が高かった事を思い出し、哲学カフェにも参加してみた。

グリーフの会とは違い、死別前提ではないけれど、自分の判断でその場での開示の深度も任される、私はその話がしたくての参加だから、他の人を驚かせてしまったかも知れないが、その、死別者が感じている、未経験の一般との分断も気になっているので、初回なのに色々冒険した。

それでも、主催者は慣れていて、うまくファシリテーションしてくれて、他の参加者の話も面白く、とても学びの多い場を頂けた。

また別の会にも参加を申し込んでる。

 

こんな風に今、動き過ぎているのではないか…良くない転換では…?揺り戻しがあるのでは…?と、不安もあった。

先生は大丈夫、どんどんしたらいい、と太鼓判だった、安心した。

また3ヶ月後、と診察を切り上げるタイミングで、こんなのを手渡した、ほんのおみやげ。


f:id:kazanea:20221112082858j:image

庭の葉っぱをちぎって粘土に埋め込んだ欠片、これも先生は大喜びしてくれた。

引出しを開けてひもを探して、机の一角を指した。

そこには素朴な手作りの色々が並んでいた。

フクロウが多かったから、好きなのかな?次はフクロウを作ってみようかな…?

暖かな人柄と、引出しの中のゴチャゴチャを見て、心がふんわりとした。

この先生に繋がれて、私は幸せだ…

みんな夫の引き合わせ、ありがとう…

 

描かせて頂いた似顔絵も、鍵無しページへの移行を快諾頂いたので、ここにもリンクを貼って置きます、ありがとうございます。

 

https://www.foriio.com/makasi

 

リンクまとめも置いて置きます…

https://lit.link/admin/creator