Mosquitoes regret

喪失と自責の記

反出生主義



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その言葉は最近Twitterで知った。

この世は地獄。

「生まれて来ない方が良かった」

「だから産まない」


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そう言う思想があるとは知らなかった10代の頃、私は親に

「親には産むか産まないか選択肢がある。子どもにはないじゃないか」

と言った事がある。

何か口喧嘩していて、親がそう言う言葉を私から引き出した、と思っている。

その頃はまだ「生まれて来たくなかった」とまで深く考えてはいなかったと思う。

ただ、子どもは生まれて来たくて産まれた訳じゃないのに、ガッカリされても困る…

(私だって選べるなら親は選びたい、とまでは言えなかった)

親は子を選べる…とは、人工中絶の事だ。

いろんな事情で産まない選択肢がある事を否定しない。

親がそれをしたかどうかも確認なんてしていない。選択肢がある、と言う事実だけ。

もしかしたら「今は産まないでおこう…」とされた子が、私でなかった、と言うだけの事だ。

 

言った時、思いがけず親が動揺して悲しそうな顔をしたのが意外だった。

「ひどい事を言ってしまった!」と言う後悔はなかった。

事実じゃないか、何を驚いてるんだ?

後日、幼馴染にこの話をした時、

「そんなひどい事、本当に言ったの?」と絶望的な眼差しで非難された。

その時も何がひどいのか合点がいかなかった。


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子育て初期に落ちた穴は

「こんなひどい世界に産んでしまってごめんなさい…」

だったのだのかも知れない…

「こんな私が母でごめんなさい…」

ずっと…今も謝っている。

 

高校の同級生が

「こんなひどい世界に子どもなんて可哀想で産めない」と言っていた。

私はただ自分の欠落を埋めたくて、リベンジしたくて、暖かい家庭を持ちたかった、その為に子どもは必須だった。

 

私は鈍感なのだ…

もう全てが過ぎ去ってから、ああ、そう言う事か…と振り返る事がたくさんある…

 

私が母として一番恐ろしかった事は、子が

「生まれて来なければ良かった」と思う事…

それを回避する事が、親としての使命だと思った。

けれど、自分はどうなのか…

夫を喪って、いろんな事がどうでも良くはなったけど、死ぬ事で逃れたいと思う程の不幸には見舞われてない、それはラッキーだったのだろうと思う。

 

私はどうして子に

「生まれたくなかった」と言われたくないのだろうか…

この世に産み出した責任からだろうか?

そう言う時の本人の辛さを思うと胸が痛い…

私は、色々あったけど、夫と息子と家族に成れて、夢が叶った。

もう、これ以上望むものはない。

夫の人生を私の養分にしてしまった罪も含めて、この先も抱きしめて行く、辛くてもそれが「人生にイエスと言う」事なのかな…