今朝から読み始めた、かつて朗読した本が、溢れる程いろんな気付きや新たな思索の種を与えてくれていて、身体の内側がまだ震えている。
最初の『つらいかた』20ページ程を読んだだけで、ああ…当時の私の中に入りようが無かっただろうな…あの頃、私は文中の御子息、光さんに近い年齢だった(同い年だが、刊行までのラグがある)今は私の息子が光さんに近い年齢だ。
と言う事は、今の私はあの頃の大江健三郎氏と同じ位と言う事…
wikiに飛んで、来歴を読んで来た。
今はスマホでこうやって、気になった時に家に居乍らにして情報が手に入る、有難い時代だ。
やはり、大江氏は父母の年代だった。
地方の9人兄弟の真ん中辺りというのも父母と大差ないが、浪人して東大に入るのだから生きて来た世界はまるで違うだろう。
たくさん考える課題を貰った。
この一冊を取り敢えず読んでしまおうと思っていたが、どうやら考えながら、噛み砕いて消化しながら、栄養として取り込みながら、焦らず、その事を私の今の宛のない生活の柱にした方が良さそうだと感じる。
他にも読んでみたいと思える本も出て来た。
『同時代ゲーム』
『洪水はわが魂におよび』
『燃えあがる緑の木』
下2作は長編の様だ。まず、今の本を読んでから。
来歴で、自分の中に火種として残っている罪悪感の、最大のもの、私は夫の死を願ったのかと言う自問を、大江氏もまた自らの中に持った事を知り、その暗闇と対面した人の言葉が聞きたいと思えた。
朗読ボランティアをしていた頃の私、これからの夫との生活を前向きにがんばろうと生きていた私には、この本の何某かも浸透しなかったと思う。
最初の一辺からして、老衰してゆく身内への眼差し、考察、「つらい」と言う感覚、全て今だから深く沁みている。
この本を既に知っていて、朗読に選んだAさんは、どんな想いでボランティアに託したのだろう…
身体の動かない自身の「つらさ」が今になって伝わって来る。
これは時を超えた贈り物なのだ。
夫を同じように自由を蝕む病に侵され、喪った私への、過去からの贈り物だった。
まだ探し出せていない、当時のやり取りの手紙、もし見つかったなら、お礼の手紙を書きたい。
そのように、日々を少しづつでいいから目的を持って、其処を目指して進んで行けたらいいと思う。