Mosquitoes regret

喪失と自責の記

我執

我執は自分に対する執着で、仏教ではその克服が重要な課題とされる。 意識ある生きものを有情といい衆生というが、その主体として、恒常・不変の自我が実在すると考えて執着することを言う。すべての存在に実体があると考える「法執」と対をなしている。この二つはそれぞれ「人我見」・「法我見」ともいう。 ウィキペディア

 

縁あって1対1でグリーフワークしてもらって来た。

本来はグループでのワークが、このコロナ禍で休止中と聞き、再開を待つつもりだったが、希望もあり、個人的にも受け付けていると言う世話人の誘いに、用心深く躊躇しながらも、丁度瀬戸内寂聴さんが亡くなったニュースも重なり、これもご縁かと決心した。


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雨の予報だったが、丁度小止みになって、道に迷いながら訪ねた。

久しぶりに家族以外と長い時間を共にした。

世話人自身の過酷な来歴も聞く事が出来た。

私に、他の伴侶喪失者の様に「恋しい、触れたい…」と言う感情よりも、申し訳ないと言う自責が強い事に気が付いて、まず一人でとお誘いしたと言われて、やはり見抜かれていたと…

 

「ご主人様への対応を後悔されてるなら、今はご自分のことよりご主人様を楽にさせて差し上げることを一番にお考えになられてはいかがでしょう。」

そうメールで言葉を頂きながら、それは仏教的な『供養』を求められているのか…と、コロナ禍もあり、一般的でない葬儀や省いた法要を責められる様で怖かった。

話を頂いて、何度も「それはあなたが…御自分が…という事ね」と言われた。

 

はっ!とした。

そうか…

私は…自分の事ばかりだ…

自分が辛い、

自分が自分を許せない、

夫がそんな事を望まないのを分かっていたはずなのに…

自分が楽になる事を許せない、夫が許すと知っているにも関わらず…

自分が…自分が…

 

許せないと拘る自分をひとまず置く。

まず、自分ではなく夫を想う。

夫なら望んだ事を、して行く。

まずは鬱を良くする事。

少し元気になったら、出来る事から、夫がしたかっただろう事を…
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たくさん話を聞いてもらった。

自覚出来ていなかった、戦友との死別の大きさを「いいじゃない、夫婦なんていろいろな形があるもの」と許された事も大きかった。

そうだ、私は戦友が逝ってしまって大きく傷付き、夫に「死にたい」と何度も言ってしまった事を悔やんでいると、それが夫を病にさせたと…そう自分を責めていると言っていたが、実は、戦友を喪った事でこんなにも傷付いてしまった、その事自体を申し訳なく思っていたのだ…

その事に向き合えなかったのだ…

夫は目の前で旅立った。

蘇生を試みなかった。

その先に、希望が無い事を知っていたから。

 

それでいい…

そう、誰かに肯定されたかった。

 

きっと少し進めた。

自責は一人遊び。

夫が安心出来るように生きる。

 

『我執』と言う言葉が浮かんだから、ググってみたが、難しい…

自分と言うものは、全ての実体は、そこに無い…

それなら、何も変わらない?

夫は身体を失ったけど、ここに居る、そう思っていいんだよね?