Mosquitoes regret

喪失と自責の記

幼な子

唐突にわかった事がある。

 

病に伏した夫の枕元で、私は本当は「行っては嫌だ、私はどうすればいいの?」と泣きぐずりたかったのだ、と。

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実際にはそんな駄々捏ねをして、これ以上夫を追い詰めるなんて出来なかった。

精一杯の演技。

「大丈夫、なんて事ない」そのように振る舞う事が、こんなにも辛い現実の中にいる夫を支える事だと思ってた。

いや、それ以前に私には悲しむ資格がないと思った。

夫の生きるエネルギーを削ぎ、病にしたのは、「死にたい」と繰り返した私だから。

自分の悲しさ寂しさは当然の報いで、夫の、己の人生を喪う無念さの前では取るに足りない、傷でさえないと思った。

感じないようにした。

罪人である自分を許せない…罰したい…

自分を突き刺し続けるうちに、奥底で泣いている自分を見つけた。

震える小さな子どもの私。

幼すぎる、それも罪…

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居ないと思った、居てはいけないと押し殺した、夫に依存した幼すぎる自分…

この子が泣くことを許す事が、自分を愛する事になるのだろうか?

そうする事で、悲しみを悲しむ事が出来るのか?

 

「置いて行かないで」と震えて泣く私の頭を、いつものようにポンポンと撫でている夫のイメージが浮かんだ。

出来なかったけど…そうしてはダメだと思ったけど、そうすれば良かったのだろうか…?

それでも薄っぺらい演技など見透かされていて、あの時も、あの時も、本当は夫は私の頭を撫でていたのだろうか…

迷子になる妻がわかっていて、心配して、道標を立てただろうか…それを私は正しく見つけられるだろうか、この先も…

どうかさいごまで、手を取って導いてね?

さいごに言いたそうにして、言葉にならずに息を引き取ったその言葉、私がすくい取れなかったあの時の言葉は、私がそっちに行く時、ちゃんと教えてね。

「忘れちゃったよ」いつものように笑うのかな…?

 

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『死なない子ども』

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昨日、三鷹の天命反転住宅に行って来た。

荒川修作の名を知ったのは数日前だ。

オートポイエーシスについて知りたくて、河本英夫さんの本をあれこれ見ている時に、その奇天烈な建築を知った。

岐阜と愛知に大掛かりな魅力的な施設もあるが、距離的に現実的に見られそうなのは三鷹のこれだな…と思ってホームページを見たら、荒川修作のドキュメンタリー『死なない子ども』の上映会の企画があった、即日申し込んだ。

荒川修作の名を知ったその日だ。



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この家は息子にも見せたい…

そう思って誘ったが、募集定員が10人と言う少なさだったので、息子は遠慮すると…

まあ、そうか…特に興味のない人が是非見たいと思ってる人(もし居たら)の席を奪うのは気が引ける…

一人でも行こうと思ったが、今借りてる本を読み進めたら、某老人ホームが例として登場してきて、それが夫の勤務先に関係する施設であったため、これは夫からの誘導と感じた。

どうしても息子を連れて行かなくては!

前日になってもまだチケットが販売されていた。

息子を口説いて一緒に行って貰う事に。

予備知識無しの息子が反感を持つか面白いと思うか…それはどちらでも構わない、ただ見せたかった、観てほしかった。

『死なない子ども』の監督で、実際にこの住宅に住んでいた山岡信貴さんに部屋に通された。

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現在も住人がいる集合住宅なので、企画がなければ入れない。

実際に入って、まず床が凸凹。

画像で知っていた円形の部屋は滑る、山岡さんは裸足だった。

私は何もかも面白く楽しかった。

ドキュメンタリーも含めて。

 

息子は…そうかなと思ったが怒っていた、荒川氏の上から目線での文明批判に対して。

積み上げてきた文化や言語を否定するなら、それを使わず自作すればいい、先人に対してリスペクトがない、いや否定する言説は、荒川氏のヘタさが出ている、と私は思うし、それも含めての懸命さと好感を持つ、上手く言い包めて波風立てずに進む方が楽なのに…

そんなこんなを息子と話しながら、来た時にバスから見えた天文台に立ち寄る事にした。


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昼時なのもあってか、東京とは信じられない豊かな木々と大きな青空をほぼ貸し切り?

まだ紅葉には少し早い。


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開いたドームを見てやっと思い出した!

ここはゲーム『FRAGILEさよなら月の廃墟』のスタート地点のモデルだった!


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息子と一緒に攻略した。

幽霊が本当に怖くて、レトロな造り込みには心を奪われた、主人公の悲しい旅を最後まで二人で付いて行った(バトルは息子担当)

冒頭の、「おまえがこの手紙を読む時、私はもう居ないだろう…」というおじいさんの手紙で号泣し、ラストのナレーションに息子共々衝撃を受け、「どういう事!?」と問う小学生に、動揺を抑えきれずに「人は皆いつかは死んじゃうんだよ!」と行ってしまった事を今も悔やんでる、それが『FRAGILE』だった…

 

今、私は夫の『死』を受け入れたくなくて、「生きている」とは「死ぬ」とは「いのち」とは…という問いに塗れて、本を読んだり講座を聞きに行ったり、哲学対話の場に行ったりして足掻いている、溺れながら…

そうして出会ったオートポイエーシスという概念?そこから手繰った荒川修作は「人間は死なない」と断言していた。

 

「人間のいのちは個人の体の中なんかにはない、人と人の関わりの中、関係の中にある」

 

やっと、私が胸に受け取れる考え方に出会えた。

帰宅して息子と話した。

荒川氏に反発していた息子も、「それで気が済むなら」と。

息子「死んでいても関係は消えないけどね」

私「過去の、終わった事と思いたくないから、それを死なないと思いたい」

今回も導かれた、今後も夫の思いを頼りに生きて行くつもり。

 

 

 

 

RE:BORN 又はUPDATE


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夫の、いわゆる死で、私も死んだのだ…と思った。

でも違った…

あの瞬間、世界が滅亡したのだ。私を含めて。

私は夫の出先機関、デバイスとして、新たに生まれた世界に生まれ変わった…言わばバージョンアップされて。

生まれたてだから上手く歩けなくても仕方ない。


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私は夫の、この世でのインターフェイス

情報を取り込む窓口、ならば粗雑に扱ってはいけないのだ。

私が余りにも自分を大切に出来ないから、夫は向こう側に回って、内側に回路を作って、私に「自分を愛する、大切にする」をさせようとしてくれてる…

そうであれば、私の課題「自分を愛し大切にする」に、後ろめたさを抱えずに向き合えるだろう?と言う夫の声を内側に聞く。

 

皆都合の良い作り話。

ナラティブと言うやつか…

それでいい、私が生きる理由はそれで十分だ。

時折、自らを突き刺して血を流す、それは私の嗜癖だから、快楽だから、そこも含めて愛せばいい。


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生まれ変わっていたのだ、まだ3才だ…

それ以前はもはや前世…

その日々の中に、幸せも悲しみもあった、だけどそれは無くならない、バージョンアップだから。

記録はクラウドの中に全部在る。

 

私と言うデバイスの能力は上がっているはず…

夫と言うOSに、今までにない位直接繋がったったのだから…


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Deathマニア

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私は夫に「貴方が必要だ」と伝えられただろうか…

愛する職場からも距離を置かれ、どんなに無念だったろう、でも一番大切なのは家族だと貴方は言ってくれた、その妻と息子は貴方を大切に出来たのかな?

貴方無しで私がどうなるかは貴方にはわかってたよね、あんなにいつも泣いてたから…

そうだね…きっと「私の為に」とせがんでも、貴方は胃瘻も呼吸機も固辞したんだろうね…例え認知機能に衰えがあったとしても聡明な貴方、信念は通す人だから…

 

私がそれを選ばせた…と自責する事は貴方には屈辱かも知れない、けど、消し去れない事を許して欲しい、私もせめて共犯で居させて欲しい…


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ここの所、いろんな所へ出掛けてる。

『死』につて『生』について、学びたくて知りたくてジタバタと足掻いてる藻掻いてる、そうしてないと息が出来ない、貴方に近付きたい解りたい…

その事に近付く事は、痛みがある。

だからこそ近付きたい、自分を罰するチャンスだから。

それなのに、打ちのめされずに何某か宝石をもぎ取って帰って来てしまう…本能的自己防衛なのだろう…

 

貴方は生き切った。

見事だった。

その事を私は忘れないし、誇りに思うよ。

なんてスゴイ人なんだ。

そんな人と最後まで居られて幸せだし、これからも一緒に居てね。

昨日のシブヤ大学『死の学校』で、話を聞いた。

病院での死が7〜8割、多くの人が自宅での最期を望むが叶うのは老人ホームを含めても2割…

講師は施設での自然な看取り推奨で、頻りに「老衰」と言う言葉を使ったけど、たいていの老人は何某か病を持ってる、その事を聞いたらやはり痛みのある人、医療行為の必要な人は施設では受け入れられない、と。

その為にホスピスがあり、医療行為を受けながら緩和を目指す…けれども基本癌患者のみで、それさえ受け入れが間に合っていないと言う。

気になってググったら『老衰』で亡くなるのは8〜9%…

夫は病気だったけど、感覚としては急激な老化に近かった。

家で、医療介入なしに逝った夫は、死に方としては非情にラッキーだったのかも知れない…

死にたくはなかったし、死んで欲しくなかったからラッキーは違うかも知れないけど、せめてもの計らいなのか…その瞬間に私を立ち会わせてくれた、目と目を合わせて、何か言いたそうにして…

何が言いたかった?

私が心配だったよね…

ごめんね、ダメダメな妻で…


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どこかで誰かが言ってくれた「見送る時は何もしなくていい、ただ居ればいい」

それは出来たから、随分慰められたけど…

読んでた本では「人の生死のありのままの姿を見て若い人は「人間であること」を学ぶ。たんに生者からだけでなく、死者からも学ぶ事ができる」と…

身体がなくたって、貴方は生き続けている。

私が人生から求められているものがあるとすれば、貴方の息子を護る事…

そして貴方の様に死んで行く事でしょう。

昨日は父の日だったの?

ありがとうね、貴方。


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それぞれの悲嘆

伴侶を喪っての哀しみにもいろいろあるな…

amazonのカゴに入れて「今回は買わない」と出した物を削除してなかった物を手繰って、夫の闘病にアレコレ悩んで入れたり出したりした高カロリーゼリーやとろみ剤、スプーン等などを引き出して、あの頃の自分に再会すると、今は穏やかだな…と、その頃の私と夫に静かに寄り添い、涙を流す。

 

夫の病は進行するだけで治らない。

「生きてさえいてくれれば…」と言う時は自分のエゴと真正面に向き合う事、私には「大丈夫!それでも君を悲しませない!」と言う覚悟が、自信がなかった。

胃瘻をしない…と言う選択を本人にさせてしまった。

それは遠くない先で去る…と言う選択…

もう取り返せない、あの時私にもっといい手があったのか、私こそが夫が去る事を望んだのではないのか…

私の為に…

私は、今現在の伴侶が居ない現実、支え手としての夫を喪った哀しみは許容範囲なのだ。

むしろもっと苦しむべきだとも思う。

それよりもあの頃の…あの時に繋がった全ての過去に、私の不徳が影を挿してると言う思いがのしかかるのだ。

 

私は哀しみも苦しみも手放したくはない。

夫を死なせて罰せられない…と言う罰を受けてる。

だからチャンスを見付けて自分を罰したい、突き刺して痛め付けたい…

そう言う自分は歪で、夫は望んでないと知ってる…

 

今、行ってるお寺さんのグリーフでは

「それでいい」

と言ってくれる。

いびつに歪む自傷でもいい、だから自分をダメだと思わないで、と。

それは想いがあるからだ…と。

 

私は赦されたかったのだな…

自分を許せない異形の自分を…

 

別のグリーフで他の参加者が大きく頷いてた「電球💡替えるのも、買物でロールペーパー持つのも自分なのが辛い…」と言うエピソードには共感出来なかった、羨ましいな…と思うけど、そんな事してくれなくても私は夫を大切に思ってる。今も。

夫を想う気持ちと、自分を許せない気持ちの2本立てグリーフなのだ。

混ぜたり片方無くしたりしなくて良い…と言われて心底ホッとしてるのだ。

そしてそんな事は

「それでいい」

なんて事は、どんな資格を持ってる心理士やカウンセラーにも言えない。言われても鼻白む…

後ろ盾に長い歴史のある仏様が居る、それを信仰してる人にしか言えないだろうと思う。

と言って、信徒でもないし、寄附もしない、ただの民草ですが…

 

 

反出生主義



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その言葉は最近Twitterで知った。

この世は地獄。

「生まれて来ない方が良かった」

「だから産まない」


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そう言う思想があるとは知らなかった10代の頃、私は親に

「親には産むか産まないか選択肢がある。子どもにはないじゃないか」

と言った事がある。

何か口喧嘩していて、親がそう言う言葉を私から引き出した、と思っている。

その頃はまだ「生まれて来たくなかった」とまで深く考えてはいなかったと思う。

ただ、子どもは生まれて来たくて産まれた訳じゃないのに、ガッカリされても困る…

(私だって選べるなら親は選びたい、とまでは言えなかった)

親は子を選べる…とは、人工中絶の事だ。

いろんな事情で産まない選択肢がある事を否定しない。

親がそれをしたかどうかも確認なんてしていない。選択肢がある、と言う事実だけ。

もしかしたら「今は産まないでおこう…」とされた子が、私でなかった、と言うだけの事だ。

 

言った時、思いがけず親が動揺して悲しそうな顔をしたのが意外だった。

「ひどい事を言ってしまった!」と言う後悔はなかった。

事実じゃないか、何を驚いてるんだ?

後日、幼馴染にこの話をした時、

「そんなひどい事、本当に言ったの?」と絶望的な眼差しで非難された。

その時も何がひどいのか合点がいかなかった。


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子育て初期に落ちた穴は

「こんなひどい世界に産んでしまってごめんなさい…」

だったのだのかも知れない…

「こんな私が母でごめんなさい…」

ずっと…今も謝っている。

 

高校の同級生が

「こんなひどい世界に子どもなんて可哀想で産めない」と言っていた。

私はただ自分の欠落を埋めたくて、リベンジしたくて、暖かい家庭を持ちたかった、その為に子どもは必須だった。

 

私は鈍感なのだ…

もう全てが過ぎ去ってから、ああ、そう言う事か…と振り返る事がたくさんある…

 

私が母として一番恐ろしかった事は、子が

「生まれて来なければ良かった」と思う事…

それを回避する事が、親としての使命だと思った。

けれど、自分はどうなのか…

夫を喪って、いろんな事がどうでも良くはなったけど、死ぬ事で逃れたいと思う程の不幸には見舞われてない、それはラッキーだったのだろうと思う。

 

私はどうして子に

「生まれたくなかった」と言われたくないのだろうか…

この世に産み出した責任からだろうか?

そう言う時の本人の辛さを思うと胸が痛い…

私は、色々あったけど、夫と息子と家族に成れて、夢が叶った。

もう、これ以上望むものはない。

夫の人生を私の養分にしてしまった罪も含めて、この先も抱きしめて行く、辛くてもそれが「人生にイエスと言う」事なのかな…

 

GW前

夢を見た。

引っ越した家は小さくてそこそこ古い、けれど暖かく、庭が広い。

洗濯物をたくさん干して、夫と息子の水筒を洗って、冷蔵庫から麦茶を出す、夫は空を見て雨を気にしてる、確かに雲が少し夕焼けになりながら広がって来て、パラパラ雨が落ちて来て、慌てて洗濯物を取り込む、夫がやって来て「オレがやるって言ったのに…リアクション薄いってか…?」とか言う。

雨はすぐ止みそう、だけど日も暮れるし…

ふと見るとお隣の家の夫婦と息子さん(うちより少し上)の姿、挨拶、子ども達はすぐ仲良くなり一緒に遊ぶ。

そこへピンポーンと鳴り、オンラインの誰かが遊びに来る、息子に声を掛けて、どうぞーと促す…

 

ん?これはメタバースなの?

とても穏やかで居心地のいい家だった。

危なくない広い場所で伸び伸び走り回って遊ぶ子どもを眺めて過ごすのは至極の時間だ。

そんな風に、私はアチラでは夫とゆったり過ごしているのだろうか?

それはきっと幸せだな…


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この4月から、多動のターンに入って、月の半分位外出している。

夫が何故、助からない病になって、苦しんで死ななければならなかったのか…

納得も理解も出来ず、腑に落ちなさから知りたい気持ちが出て来て、「生と死」や「生きる」や「言葉とは、伝えるとは」みたいな本を、グリーフを超えて学びたくなって、大学のオープンカレッジや講座等の予定を入れた。

こんな動機でなければ決して乗り出さない、未知の土地の未知の体験。

不慣れな乗り換えに尻込みしても、でもきっと夫は面白がって色々試そうとするだろう…行った先で新しい何かに出会う事を楽しみにしただろうな…と思えるから、夫を連れて行こうと思えた。

 

折しもコロナ対応が変わり、あっという間に観光客はコロナ禍前に戻り、電車も混んで来てマスク無しの人も…

引き篭もりのひ弱なナメクジは、遂に風邪に倒れた…

喉の違和感から熱…喘息の薬を処方され、今日で5日目…

 

唾液を飲み込むのも激痛、たん絡みで咳が出るから体を立ててウトウトする夜…

苦しいな…でも夫はもっと苦しかったろう、辛かったろう…

 

そうか…

私が腑に落ちない、わかりたいと望んだから、教えてくれてるんだな?

ありがとうね…

私は風邪だと、この辛さもやがて去って元に戻ると知ってる、でもあなたは…回復がない未来をどんな気持ちで見つめたのだろう…思うと涙が止まらない…

すぐ近くに居ながら、あなたのさびしさ、辛さに寄り添えてなかったと思うから、自分を責めた…

私に足りなかったものを、一つでも拾えるのなら…と勇んで出掛けた先では、自らの異質さを思い知る事もあった、そして要らない風邪を拾って来てしまった…

全く…ダメだな…

凹んだ私にあなたは慰めをくれたのかな…?

苦しみの中、このまま連れてってくれても構わない、でも、息子が悲しむかな?悔やむかな?

こんなに若くして両親亡くして頼る親戚もなく…それでも息子ならなんとかする気はする、私が足手まといに残るより…とも考える…でも…

夫なら「可哀想でしょ?」そう言いそう…

私が残って、息子を見守る、それだけでも居た方がいいのかな…?

そんなわがままを、私は許して貰っていいの?

そんな会話を繰り返して…朝、冒頭の夢を見た。

喉の痛みはだいぶ軽減した。

もう一息かな…?



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お出掛けモードのブーストが終わって、これから世の中は丁度ゴールデンウィーク、コロナ禍明けのお祭りに繰り出すつもりはないし、溜まった積ん読本を読み、依頼を受けた似顔絵を描き、静かに、この病床で夢うつつで見た情景と夫からのかすかな発信を、よりよく受信出来る様に、アンテナを日々リノベーションして行きたいと思う。