いつの日か 旅する者へ
私は子を見過ぎる母親である事を自覚していて、いつかこの子が巣立つ時、その足を掴まない様に…
いつか、近い未来、私と夫の肩を強く蹴って飛び立つ我が子の足を掴んでしまわない様に…
それが出来たら、夫に褒めて貰えるだろう、夫の元で安心して泣けるだろうと思っていた。
それが子育ての卒業だと。
それなのに、夫が先に飛び立ち、息子は母を置いて去れなくなってしまった…
なんて事だ!
こんなの想定外だ!
子育ての仕上げでこんなハシゴ外しはヒドイ!
私の最大のミッションなのに!
夫を、子の父親を救えなかった私に、母親を続ける資格はあるのか…?
夫の病が長引いたら、息子の将来はどうなるのだろう…と心配だった。
息子が入社したばかりの会社で、父親の病が知れたら、何か不利益を被るのではないか…その心配をよそに、息子は上司に話をして、介護休日も取れる事を確認してくれた。
「それでマズくなる様な会社なら、むしろ辞めた方がいいでしょ」
そこに夫の姿を見たようで、ハッとした。
夫が、自分の病、病状についてどう思っているか知ることが出来なかった。
本人を抉るような問いただしはしたくなかったし、彼は弱音を吐かなかった。
ただ、出来てた事が出来なくなって行く切なさ、悔しさは、私も一緒に噛み締めた、その苦さは夫に遠く届かなくとも…
苦しむ彼の姿さえ、息子への贈り物、何か大切な事を息子に教えてくれている、ありがたかった。
私は、病に苦しむ夫さえ、養分に溶かして我が子へ与えたのだ。
私が母親を続ける意味は、息子に「お前のお父さんは善き人だった、お前の事を大切に思ってさいごまで懸命に生きた」と、語り続ける事なのかも知れない。
前述の遺恨2つについて、涙で微睡んだ間に夢に夫が現れて助けてくれた。二晩続けて。
それが自分の潜在意識の自己救済で、単なる自己満足だとしても、私の中で夫が今も私を救うヒーローで在り続けているのだ、と言う気付きは大きな幸せだった。
きっとまた同じ様に思い悩み、泣き、のたうつ日が来るのだろう、その時、この時の事を思い出したい。