信じる力
茶の間の押入れの下半分を、私の趣味の道具や材料等等が占めている。
もう気が乗らなくなった物や、いつか使うかも…と、かけた元手を考えてケチ臭く捨てられない物も多くて、整理しなければとは思うが、触れば時間を喰い潰すのが目に見えてるから触れないでいる。
2年前の今頃、当時はまだ若年性認知症の診断だった夫との、これからの長い闘病を想って途方に暮れていた。
最初に繋がった若年性認知症サポーターからの助言で、保健所に相談すると面談になった。
その時初めて目の前の人に色々受け留めてもらった。
保健師が2人付いてくれて、ベテラン風の人は「大丈夫」と言うメッセージを体全体から出してくれていた、年若い人は、私の不安に寄り添ってくれた。
ありがたかった。
「奥さん、自分の趣味の物を処分しないで下さいね、結構全部捨ててしまう人もいるんですけど、自分を支える楽しみも大事ですから」
そう言われた事を、昨日不意に思い出した。
コロナ禍の初め頃で、結局当事者会家族会はどんどん中止になり、一度も行けなかった。
その後ALSの診断が付き、認知症はその合併症だと言われた。
長いと思っていた闘病は、あっという間に終わってしまった。
長い時間をかけて少しづつ、零れ落ちるものを二人で押さえながら、拾いながら歩くのと、短く切り上げて去っていくのと、どちらがどうとは言えない。
ただ、どちらでも、夫と言う人の本質は変質しなかったのだろうと思える。
出来ない事が増えて、面倒になり、人が変わったかの様に見える事もあるし、脳の変質が進めば別人の様に荒々しくなった可能もあるけれど、夫はその手前で翔び立った。
まだ歩けた頃に選挙があって、それまでした事がなかった投票の棄権をした夫を、それだけシンドイのか…と、でも半ば、子どもの前で棄権するなんて、父親として頑張りを見せて欲しいといら立ちも持った。責める口調で再三誘い掛けたと思う。
彼のポリシーからしても、棄権は馴染まない選択だった。ずっと引っ掛かっていた。
病が、彼を変えてしまった…悔しいけれどそうなのか…
それが昨日、電撃の様にわかったのだが、彼は投票所に行きたくなかったのだ。
近くにある投票所には、ご近所さんが皆来る。
そこで自分の姿を見られたり、声を掛けられるのが嫌だったのだ。
その日、私は息子と二人で投票に行った。
その時は自分がいっぱいいっぱいで分からなかったのだと思う、よく覚えてさえいない。
夫亡き後の選挙で再び息子と二人で投票所に並んで、皆マスクをして距離を取って居るからハッキリとはしないが、顔見知りが何人も居るのがわかって居心地の悪さを味わった。
誰からも声を掛けられなかったのはコロナ禍のお陰かもしれない、ありがたかった。
平日に散歩に行きたがらなかったのも、同じ理由だろうと思う。
つい、真面目な、一生懸命な患者家族であらねば…辛い事があっても前向きに頑張る姿を世間の人に見せる事が正しいと、そうあらねばと…思っていた。子どもの為にも…と。
でも、そんな事はどうでもいい事だった。
命の先がないのが分かっていて、尚、優等生を目指さなくてもいい…
私は分かっていなかった…
そんな事に見栄をはる必要はなく、どんな状況に陥っても取り乱さず、嘆かず、絶望しなかった、彼は彼のままだった。
認知症がどの位、彼の判断を蝕んでいたのだろうかと、最期の選択が本当に本当の彼の真意だったのか、認知症によって理解出来ていなかったのではないのか…その疑問がずっと胸にあって消えない。
それでも、彼は最期まで彼だったのだと思える一つのエピソードを思い出せて良かった…
その事に、死後1年以上思い至らない鈍感な妻でごめんなさい。
でも、想い続ける事で、悩み苦しみ続ける事で、辿り着ける灯火もあるのだと、知る事が出来た。
悩み続けよう、想い続けよう。
貴方の遺した線画が、私の趣味と混ざって今の私を支えてくれている。
まだまだ貴方の事が知りたい、解るようになりたい。